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藻琴原野 第二話 往年

   滝本はぼくより幾つか年上だ。
 交代制の夜勤も伴う滝本と飲むとたいてい朝まで飲むことが多かった。 滝本もぼくもサシで飲みながら静かに語り合うことが好きだったし、特定の女に恵まれないところまで似ていた。
 滝本は山菜採りといった山歩きが得意で、ぼくは登山を趣味としていた。 そして人知れぬ渓流や湖といったお互いの好きな秘密の場所を持っている、そんな2人だからたいていの話題には事欠かないのだった。
 昨夜は4月とは季節の名ばかりで夜半には小雪が舞っていた。 家にやってきた滝本がいかにもまず聞きたかったのだよというような顔をして聞いてきたのは、今は聞かれたくなかった、やはり女の話題だった。
「まっちゃん、例の女、どうした?」
滝本は自分の胸の前で揉むような仕草を見せておどけて見せた。
「いやあ、ぼくには合わなかったよ、もう連絡もしてないんだ」
少し素っ気なく云ってみたが、やはりいつもの癖で頭を掻いていた。
「そっか、またいい女いっから大丈夫だあ、うん」
滝本はぼくの気も知らないで、両腕を組んでうんうんと一人納得した後、バーボ ンの封を切り、トクトクと小気味よい音を出して一人勝手にグラスに注ぎだした。 滝本はずいぶんと男らしい。ぼくは相変わらず煮え切らない男だ。 あれこれとしばらく女のたわいない話が続いた。
 次第に酔ってくると、滝本は幾分饒舌となり、いつもの沢の自慢話になる。 別段、ぼくたちは釣った魚の大きさをだんだんと誇示していくわけではなくて、 それぞれが体感した沢や湖の美しさを張り合う場合が多い。
「あの渓流の奥、知ってるか?ヤマメがうじゃうじゃだ、なんといってもきれい な沢だもんなあ、うん」
「沢もきれいだけれど、あそこのヤマメのパーマーク(模様)はきれいだあ、ホントよお、まっちゃん」
「ヤマメばっかりなのかい?」
「いや、その少し下からよ、何故かオショロコマがいるんだわ」
「それ珍しいね、滝本さん今度連れてってよ、その沢さ、何回も云ってるけど」
「いいけど、クマさ、いるからな」
滝本はバーボングラスに入った氷を器用にくるんと指で回してグイッとあけた。 ストーブにかけたやかんがカチカチと沸騰してきたようだった。
   少しお互い沈黙の時間が流れたが、これはいつものことで、流れている音楽の歌詞をかみしめているときなのだ。
「いいな、この曲。ここの詩がいいんだよな」
ぼくも思っていたことをボソッと滝本が言葉にした。 滝本のグラスにバーボンを片手で注いだ。 飼っているネコが何かを想い出したように起きたようだった。  その滝本も好きだと云う曲を再び頭出してから、ぼくは立ち上がって台所でキュウリを縦切りし、みそとマヨネーズでタレを適当に小皿にクネクネとつくったものを簡単に手に持って、再び滝本の前に落ち着き座りなおした。
「昔の人の話を聞いているとさ、ヤマメなんかもドラム缶で捕れたって云うね。 それがたかだか20年前の話だよ、滝本さん、羨ましいよねえ」 「うらやましいけど、今でもまだそういうところはあるよ。みんな知らないだけ でさ。俺が納得できんのは勝手にサケとかを捕れないってことだなあ」
滝本は野性的な勘の鋭い人だ。
「確かに川に秋、あんなにサケやマスがいたら捕りたくなるね、本能だべか?」
「本能でないかい?自分で食う分くらい捕ってもいいべさ、と云っても川さ遡っ た奴は脂もないからいいけどさ、俺は海で釣った奴を今年も冬葉にするわ」
滝本はやや何かを吐き捨てるように云ったが、滝本がつくっていつもくれる冬葉は確かに旨かった。
「うちの藻琴川はまだマシだべさ、サケたちも天然産卵できるもんね」
ぼくは、少し話を戻すように、そして同意を求めるように云った。
「昔、北海道に住んでいたアイヌの人たちはヨ、川もみんな生き物、神様として 扱っていたって云うべ、それが自然からの恵みとして当たり前だべさ」
「そうだよね・・・サケはカムイチェップ、神の魚って大切に崇め呼ばれていたんでしょ?」
 滝本は今時ホントウに心のきれいな人間である。 ときに清濁飲み込めない性質から日常の人間関係で愚痴や涙をこぼすこともある。 滝本は、話を続ける。
「みんな自分たちの生活の関わりとしていたんだ。川は道のない頃には道路だったから狩猟の往来にも使ったし、当然そこではサケたちも捕れたからな。みんな生活に関わっていたから、食糧ひとつ偶然ではなくて与えていただけた命として 尊重していたのは、ホントわかるよなあ」
「サケマスの増殖事業って100年以上の歴史があって、そして確かに資源も回復したけれどさ、大きな河川で親魚を一斉に捕獲してさ、それをあちこちの河川 のふ化場に受精卵を移送しているんだけれど、それって冒とくだと思わないかい? 効率ばっかりを追っかけてさ、早期後期群ってあるのに人間が働きやすい9月の早期群ばかりで人工受精させてしまうし、それにさ、川にはそれぞれ独特の四季や水温があって、だからこそ今まで同じ川に帰ってきて再生産をサケたちは氷河期以来してきたのにその遺伝子や行動本能ってみなムダってことでしょ?」
ぼくも酔うと訳の分からない現実離れした屁理屈を云うようになる。  滝本はそんな小難しい話を避け、先ほどの話を続ける。
「まっちゃん、知ってるか?」
「何さ?」
 滝本は次のようなことを話し出した。滝本の口から初めて聞く話である。 当初この藻琴原野の地に明治の末期、本州から入植した人たちが寒さに凍え開墾や農耕がうまく行かず食糧の採り方や保存方法に困っていた時に、助けてくれたのがアイヌのヤイトメチャチャという一人の男だったと云う。 当時みなが怯えるクマを自ら狩猟し、四季の山菜の保存方法、この地での自然の中での生活の知恵、もちろんこの地の地理にも明るく道案内までしてくれたとのことだった。
「ヤイトメチャチャの”チャチャ”ってさ、年輩の人に親しみを込めた意味だよね」
ぼくは奇遇にも同じ名前をつけていた家ネコを優しく撫でながら云った。
「そうだろうね、きっと。ずいぶんと慕われていた人らしいよ」
ぼくはネコを今度は膝に乗せ、さらにそのヤイトメチャチャと云う人のことを知りたくなった。  この藻琴原野の地に生まれ育った滝本が祖父母などからきちんと伝え聞いてきているのだろうヤイトメチャチャのことについてその他に知っていたのは、彼が北海道日高の出身で、明治の中期の春早くに固雪の上を釧路から峠を越えて歩いてやっ てきたこと、そして浦士別の神浦で居住していたこと、日本名は佐々木という名だったこと、相撲が強くて「男山」の名がついていて「佐々木ヤイトメ男山チャチャ」 と呼ばれていたこと、身長は180cmを越える豊かな体格の持ち主だったこと、 勇敢でクマと組み討ちをしたこともあり射止めたクマの数は100頭以上だったということ、住居のそばにイナウサン(幣棚)を設けてたくさんのクマの頭蓋骨を祀っていたこと、狩猟を生業としていたことなどを酔い口調で教えてくれた。 「まっちゃんよオ、これから酔い覚まして、釣りに行くべや」
滝本は、いつものように右腕をくいっと上げて笑って誘って見せてくれた。
 季節は4月下旬、藻琴原野の川にはサクラマスが遡上している頃だった。 まさに身は桜色でバランスのとれた美人であり、この時期秋の産卵に向けて海から 北の河川へと遡上を始める。
 ヤイトメチャチャ氏は、藻琴原野の殖民地区画測量隊に加わるなどの多くの功績を残したという。現在は小清水町神浦墓地に埋葬され、神浦の住居跡には「男山伊弥登牟多主命」の碑が建立されている。なお、同氏の名は北海道小清水町史にはイヤトムタと記されている。


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