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藻琴原野 第一話 原野

 北海道オホーツクの空の玄関口である女満別空港を離発着する飛行機の窓から眼下の大地を見下ろすと、まず弓状を描くオホーツク海の海岸線と斜里岳から知床半島への連なりが美しいことを思い知らされるが、次第に広く見ているとその印象はいかにその周辺が広大な丘陵で海岸線沿いに湖沼が点在していることに気づき辿り着くであろう。
 縄文海進が最盛期に近づくにつれ、7000年前頃から旧砂丘の形成が始まり、 3000年前頃までにその形成が継続した結果である。 つまり最後の氷河期からの完新世の初期にこの北海道の沿岸部地域に多くの内湾を生じさせたのである。 それらは特徴的な常呂町の平野や丘陵、そして網走湖や能取湖といった現在の景観、寒冷地特有の原型を成すものであった。

 人口4万余人の網走市の市街からオホーツク海岸沿いに国道244号線を斜里方面に走ると、JR釧網本線を陸橋で越えたところに藻琴駅(もこと)という小さなぽつねんとした駅がある。 駅前には小さな商店、そして理髪屋がある程度で、そこから右に折れてまっすぐに続く南への道道102号線を進むと、やがて左側に青色をたたえた水面が現れる。これが藻琴湖である。
 この湖も縄文海進による過程で生まれた小さな落とし子である。 今でも流入する藻琴川からの水流や土砂、オホ-ツク海から底部へ流入する塩水との対流を繰り返し悠久の一瞬の景観をヨシ原をたずさえて見せている。 春浅い4月、晩秋10月には渡りの羽を休める純白な白鳥たちがいるはずである。

 さて、この藻琴湖の畔に立つとゆっくり眺め下ろすように座って見える山が望めることだろう。 なだらかなスカイラインを広げている、これが藻琴山である。
 藻琴(モコト)とは、安政4年(1792年)の松浦武四郎の廻浦日記によれば「モコトウ」と書かれ、小沼の意味であると記されている。 様々な諸説もあり、アイヌ語研究者永田地名解では「モコト=小沼、此辺大沼多し、此沼は小さなるを以て云う」、北海道駅名の起源(昭和25年版)では「ムクトウ(尻の塞がっている沼)の意」、網走市史地名解では「モコルトー(眠っている沼)の意」、北海道駅名の起源(昭和29年版)では、「モコト即ちポ・ コッ・ト(子を持つ沼)の意」など、4つもの見解があり、またうち3回参加している知里博士がそれぞれ3つの解を出しているところが興味深い。 いずれにしても、この湖の持つ地理的形態や情景が擬人的に表され、生命の息吹さえ感じられる生き生きとした名を与えられているのである。 この藻琴湖に注いでいる川が藻琴川であり、眺められる藻琴山(もことやま)を源として藻琴原野が形成されている。
   その地名は、かつてニクリバケ(昔は木が生い茂っていたが今はないの意)と呼ばれ、藻琴湖上部の地帯から今の東藻琴(ひがしもこと)周辺を指すのである。 この藻琴原野の最初の測量は明治22年(1889年)に実施され、そのときに現在の「藻琴湖」、「藻琴山」がそれぞれ名付けられたと云う。

 ガサガサと足音がしたとたん、声がした。
「まっちゃん、どうだ?」
ルアーを交換しようとしていた時だった。 滝本が偏光グラスをしたままロッドを片手に持ち、枯れた草の上を歩いてきた。 今にも春の冷たい雨が降り出しそうな空である。 冷たい朝の空気に吐く息も白い。 早朝からぼくたちは藻琴湖の流れ込み付近で雪解水がコーヒー色を彩る水面と対峙していた。今日の釣果はお互いゼロのようである。
 この季節、銀白色のサクラマスが遡上してきているのだ。
「滝本さん、今日は全然ダメだわ。水温が低すぎるしさ」
滝本はぼくの言い分を聞いていないかのように胸ポケットから煙草を出して火をつけていた。 ぼくも同じく煙草に火をつけた。 すでにしわくちゃになりつつあった箱には本数の残りが少ないのか取り出した煙草は少し折れかかっていたから、震える指で両側をつまみ押さえながら丁寧に吸い込んだ。 腹に何も入れていないので、口の中に煙のヤニで膜ができるような感じだったが、 早朝の刺激的なニコチンはうまく覚醒させてくれる。 あくびが出たと同時に、酸素が脳に行き渡るような心地がした。 ぼくたちは昨夜バーボンをあけ続け、寝ずにそのままここへやってきていたのだ。 いつもならこの「あわびスプーン」で必ず1匹はヒットさせていた。 もちろんぼくたちがそのルアーに勝手に付けているお気に入りの名である。
 ぼくは続けて弱気に言ってみた。
「滝本さん、最近、警察も見回っているしさ、今日はこの辺で止めようよ」
河川に遡上しているサクラマスを釣ることは御法度である。 滝本はさらに聞いていないかのように、両手を伸ばして大きくあくびをした。 すでに今年5匹をかけている滝本は何もかもどうでも良いようであった。
 滝本とぼくは毎年キープは2本と決めて、春にはこの釣りを楽しんでいた。 鱗がはがれやすい美しい魚体を丁寧にさばいて、冷凍にしておくとたいていビー ルの旨くなる北の大地の初夏頃まではルイベ(冷凍刺身)として酒の肴に最適だった。
 ぼくは釣れないことから眠気が襲ってきていた。 ルアーを交換してまで、さらにねばる気力も根気も失せていた。
 そして昨夜、酔っていた滝本が云っていた心地よくも不思議な響きを持つその人名を幾度も復唱してみようとした。飲んでいたときの話だから記憶の欠片を探すような作業だったが、大丈夫のようだった。
「ヤイトメチャチャ」。

藻琴湖から望む藻琴山


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