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【はじまりはここから③】初めての高体連

(カバー写真はオオバナノエンレイソウ)

5月25日に、遠○登高会の社会人の方々が北大雪山系にあるニセイチャロマップ沢の遡行に連れていってくれた。
天候は雨、少しの登山歩行で大きな滝が現れ、ぼくたちの技量では高巻きができずに帰ってきた。

そして、6月4日から高体連地区大会である。
大雪山愛山渓〜永山岳での2泊3日。
先輩たちがひとつのパーティ、そして登山初心者のぼくたちがもうひとつのパーティとして参加した。オブザーバー参加だったかも知れない。
ひとつのパーティは、CL(チーフリーダー)、SL(サブリーダー)、3番、4番の4人で構成される。
パーティごとに山行が点数で審査されるのだ。

いきなりの成り行きだった。
そんな大会というか、登山に競技があることさえ知らなかった。
登る目的も意欲も、設営も炊事も、筆記テストも読図も、計画書や天気図なども一切わからないまま、大会にのまれた。
何がなんだかわからないまま、あがらうことのできない大きな渦に巻き込まれている感じだった。
あっという間に大会は終わった。
春山合宿よりも少しは夏山登山路が出ていた。
ぼくたちは最下位だった。
女子の先輩たちが善戦したようだ。
他校の作成したスゴイ計画書を見て、同じ高校生とは思えなかった。
こんなにも山岳部があちこちにも存在するのか?とも驚いた。
興部、紋別北、紋別南、遠軽、北見北斗、北見柏陽、北見工業、網走南ケ丘などの高校から参加していた。まさに若き山の少年たちの結集である。

まだほとんどがユニホームのない、てんでバラバラのジャージを着ている。
ただ、表彰されているパーティは、お揃いのカッターシャツにニッカズボンを履いていて別格で羨望だった。
山岳部の活動の目標の一つは大会なのかな?
負け惜しみもないが、学校を休んで仲間と山で過ごせることは自由で楽しかった。

この大会のとき、驚いたことが一つがある。
炊事に必要なメニューの材料をコープへ買い出しに行ったとき、H田君がとても計算(暗算)が速いということだ。
買い物途中であっても合算を都度教えてくれる。
予算のあるみんなとしては、とても助かった。
彼のあだ名は、「あっちゃん」であるが、誰かがデコッパチと呼ぶと、顔を赤らめて「うるさいっ」と激怒し、プイッとするのだった。
特に、O君が仲間にそれぞれにあだ名を付け始め、煙たがられていた。
それでも、O君は、「浜村淳でございます〜」と、自らもおどけてみせた。

この頃から、唯一人ニヤニヤしない、寡黙だけれども真面目なH先輩を尊敬し、慕うようになった。
気象、特に雲の種類などをいろいろ教えてくれる。
時折、シャレもおもしろいのだ。
この先輩についてゆこうと思った。

7日夜から一学年で夜通し志撫子まで歩く「夜間遠足」があった。峠を超えて一度休憩しただけで、25キロを同級生たちと楽しく歩いた。

20日は、合唱コンクール。
高校生はイベントが多いなあ。
どんどんいろんな友だちが増えるのは浮かれているからなのだろう。


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