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エモいという言葉すら使わないが、僕の脳内はエモで研ぎ澄まされている

僕が正義と感じるエモを作品に落とし込むために、僕の脳内は常にエモで研ぎ澄まされている。ただ、エモいという言葉が形骸化しているからこそ、自分の中にあるエモディティーは何かを常に問わなければならない。

うまくやることと本当にクリエイトすることの間には大きな隔たりがある。本当にクリエイトすることとは真に自分が思う想像力そのものと人の感性を貫通させる想像力であるということ。僕はこれに出会うために音楽を続けたい。だからもっとエモを研ぎ澄ませ。エゴに抑圧されるな。
(okkaaa, それでも僕は音楽を続けていたいと思った。2019、脱最適化ムーブメントの実装と開拓)


特定の感情を引き出す時、どのような物が自分の心の感情を深いレベルで覗けているのだろうかと、歌詞を書きながら考える。僕がかっこいいと思う正義を普遍化させその抽象的な解釈と出会う作業だ。それはまだ見ぬ地平を開拓し見つけ出す感覚に近い。この自分の中のエモを抉り出す作業を様々な文献や文学を引用しながら考えていきたい。

「エモディティ」という言葉がある。特定の感情を作り出す商品を指すのだが、面白いことに、その代表例は音楽とされる。社会学者エヴァ・ルイーズによると、かのトーマス・エジソンは1920年代に「さまざまな魂の状態(ムード)を生み出す音楽」を商品化しようと試みていたそうだ。それからおよそ100年が経ち、個人の感情が渦巻くソーシャルメディアによって「エモい商品」の注目度は上昇、エジソンが生まれたアメリカでは「ムードな音楽」が大衆市場におどり出ている。( 文:辰巳JUNK, Solange / WHEN I GET HOME | ソランジュ | The Sign Magazine) 

自身のエモディティーのユーモア性はどこにあるのだろうかと、よく考え頭を悩ます。僕は目を閉じて耳をすましながら、自分のエモディティーがどこをどう通っていくのかを知ろうとしている。どんな音がするかは明瞭でない。それは、反射した光が様々な方向へ屈折するように輝かしいものだが、同時に、視界が狭まっていて、うまく見渡すことはできない。

「2枚組のアルバムを作りたくはなかった。でも、曲を書き続けた。いつもソングライティングをドアから入ってくる女の子のように思うんだ。どんな風なルックスかわからない。ただ突然、彼女は現れるんだ」(プリンス,'不死鳥のプリンス 未発表音源で蘇る「1999」の実力')

プリンスはソングライティングをする時、ルックスがわからないけれど女の子が訪れるように思うとインタビューで答えている。ここにプリンス的なエモディティーの訪れを僕は感じる。ソングライティングをしながらじっと坐っていると何かの音が聞こえ、それが聞こえるたびに胸がほうと明るくなるのだ。

二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に耐え切れないで伊豆の旅に出て来ているのだった
(川端 康成, 伊豆の踊子)

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