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縁もゆかりもなかった場所で、文房具屋を立ち上げた女性に聞く「ローカルの魅力」

僕が「おでぃさん」(小田奈生子さん)に初めて会ったのは、約5年前だ。卒業論文を書くためのフィールドワークとして徳島県神山町に訪れたとき、何のつてもなかった私に、自然豊かな雨乞の滝や山の上で梅干しを育てるおじいちゃんなど、町の魅力を紹介してくれた。

徳島県の出身でなかったが、その人柄から町の人々に愛されていたように感じたのを記憶に残っている。当時、地域おこし協力隊としてNPO法人「里山みらい」で活動していたおでぃさん。話を聞いてみると、「いずれは文房具屋を作りたい」と笑顔で語っていた。

それから数年後、おでぃさんはその夢を叶えていた。今回は、文房具屋を立ち上げるまでの物語を実際に書いてもらった。おでぃさんの優しくて、穏やかな人柄が伝わると嬉しい。

3.11を機に「私もこのままではいかん」

私は千葉県船橋市の団地で育ち、都会でも田舎でもない場所で、生活には何も不自由なく暮らしていました。短大で美術を学び、最初のキャリアとして選んだのは現代アーティストのアシスタント。その後、約3か月の船旅で世界一周する「ピースボート」に参加しました。

ピースボートは観光目的の人も多いですが、船内では社会問題について講演や勉強会なども行われており、その現場を見学したりもします。同じ船に乗っていたのは、年齢や背景もさまざまで、中には広島での被爆経験を伝えるために、世界をめぐる高齢者の方もいました。後世のために、人生で最も辛い経験を伝え続けることに感銘を受けたのを覚えています。

乗船後、私なりにできることがないかを色々と考え、アルバイトをしながらファームステイしたり、茨城で田植えを手伝ったりして、全国を回りました。その中で、ないものを自分達で作る田舎の生活が、とても魅力的に感じました。いつか田舎でそういった暮らしをしながら、お店を開きたいと思うように。しかし、そんなときに東日本大震災が起きました。

当時、私は東京の映画館でアルバイトをしており、お客様の避難誘導などでバタバタしていました。電車も止まって、帰れない子も多く、映画館で待機することに。余震も続き、近くのビルの窓が割れて落ちて来ないか不安になったりと、怯える時間を過ごしました。

テレビで津波の映像を見たときのことは、今でも忘れられません。ようやく落ち着いてきたとき、(宮城県)南三陸町の仮設住宅で行われたワークショップのお手伝いに行きました。明るく前を向いている方が多くて、「私もこのままではいかん」と思わされました。

そこで、以前から興味のあった、地域おこし協力隊という仕事に応募してみようと思いました。いずれ田舎でお店を開くにしても、まずは地域の人に自分を知ってもらうことの重要性を感じていたのと、土地のことをよく知らずに始められないと思ったからです。

地域おこし協力隊は全国で募集しており、募集内容は地域によって違います。神山町は以前雑誌に記事が載っているのを見て、興味はもっていました。「アーティストインレジデンス」を長年やってきている実績があり、アートにも触れられると思ったんです。

一方で、神山町が募集していた地域おこし協力隊は当時、農産物の振興というザックリした内容。ただ農業にも関心はあったので、一歩を踏み出してみることにしました。

古民家を改装して、「魚屋文具店」を開業

神山町の第一印象は、とにかく「水がきれい」ということ。あとは、どこに行っても山に囲まれていました。私は登山も好きだったので、山に囲まれていることが気持ち良く感じたんです。誰も知らないところからのスタートでしたが、とても充実した時間を過ごせました。

神山町はすだちと梅が盛んな地域だったので、先輩隊員とイベントを開催したり、販売したり、新聞を発行したりと色々な取り組みを行いました。顔を覚えてもらいたいと思い、お祭りのお手伝いや、イベントにはなるべく出るようにしていました。絵や文字を描くことが得意だったので、農家さんの似顔絵を描いたり、看板を描いたりもしていました。ちょうど役場の封筒の増刷をするタイミングで新たにイラストを書かせてもらったこともあります。

協力隊の任期は3年です。3年目に入った頃、任期後に何をするかを考えなければいけません。お店を作りたいという思いがある中、道の駅があるので「お土産屋は違うな」と思ったし、飲食店は神山に結構あるし(そもそも料理はそんなに得意でない笑)。

ふと本屋に立ち寄り「文房具屋」に関する特集を見つけたとき、「これだ」と思いました。

昔は神山にも文房具屋はあったそうですが、今は一軒もなく、コンビニやスーパーに必要なものが少しあるぐらいです。レターセットやメッセージカードなどは徳島市内に出ないと買えなかったので、「町内でも買える場所があったらいいのでは?」と思ったのです。

その後、今の文房具屋をしている物件に引っ越したのですが、もともと魚屋さんだったということもあり、『魚屋文具店』という屋号にしました。1階がお店で、2階が住居スペースになっていたので、DIYでお金をかけずにお店が始められそうでした。

協力隊から起業資金は出るのですが、店舗にお金をかけられなそうだったので、天井や壁は友人に協力してもらいながら自分たちで塗ることに。什器は、古民家から出てきたタンスや棚を譲り受けて使っています。

開店は、2017年11月3日。なぜこの日にしたかというと、いつ開店日にするか悩んでいた時に、友人が「文化の日=文具の日」という記事を見つけて「これだ」と思いました。しかし見つけたのが2週間前だったので(笑)、オープンできるか不安でしたが、「ひとまず商品が少なくても開けてしまおう!」と心に決めたのです。

商品はネットから仕入れているものと、好きな業者には直接連絡を取って仕入れたものがあります。オリジナル商品はまだ2つしかありませんが、神山町のお土産にもなるような、すだちのマスキングテープと一筆箋を作りました。もっと増やしていきたいと思っています。

週2~3日くらいしか営業していませんが、地元の人も来てくれます。通学路なので、小学生が学校帰りにお店で『今日はこんなことがあった』と話して帰ったりしてくれます。

協力隊の同期と、苔庭の店舗も運営

なぜ魚屋文具店が週2~3日のオープンかというと、実は魚屋文具店を始める前からもう1店舗お店をしているからです。「こんまい屋」という屋号で、友人と2人で始めた「苔庭(こけにわ)」のお店です。私が住んでいる地区から車で20分ほど行った場所にあります。

協力隊3年目のときに、桜花連(神山町で現存している唯一の阿波踊り連)でご一緒した方に、「苔庭を作っているおじさんが、誰かに教えたい」と言っていると聞いて、少し興味を持っていました。こんまい屋の隣にあるカフェがオープンした日に、神山町に遊びに来た友人を連れて行くと、そのおじさんが偶然いて苔の話になったんです。

そしたら苔庭ワークショップをしようという話になりました。ワークショップをしてみたら、とても面白くて。そしたら隣に空き家があるからお店したら?という話になって。

友人は他の地域ですが協力隊の同期で、3年後の進路に悩んでいて、色々考えて一緒にお店をすることになりました。そこで、文房具屋をどうしようかと悩みましたが、一緒にするとごちゃごちゃするし、別でしようと思い立ちました。文房具屋はやらないという選択もできたのですが、神山町に文房具屋を作りたいという気持ちは拭えませんでした。

そして、苔にちなんで2017年5月4日の「みどりの日」にこんまい屋をオープン。こんまい屋をしながら、休みの日に文房具屋のスペースの改装をしていました。2つもお店をするのは大変なこともありますが、全く違ったジャンルなので息抜きにもなります。

都会にはない別のワクワクが、地方にはある

神山町での歩みを振り返ると、地元の人に本当によくしてもらっているなと思います。

神山町に来てすぐに、地元の阿波踊り連の『桜花連』に入りました。普段の生活では会えない人もいて、色んな人と交流ができます。普通は踊りを経験してからでないと鳴り物をやらせてもらえないことが多いそうですが、「締め太鼓がしてみたい」と言ったら、ちょうど探していたこともあり、すぐに挑戦させてもらいました。今は毎年お盆がくるのが楽しみなんです。桜花連のメンバーは面白くて、よく飲み会に誘ってもらったりしています。

以前、すだち農家の家族と一緒にUSJに行ったこともありました。絶叫系に乗れないから子供と乗ってほしいと(笑)。こういうお誘いは仲良くならないとないと思いますし、とても嬉しかったです。協力隊を卒業する時は、先輩後輩、役場関係の皆さんで、送別会と称した一人きりの卒業式をしてくれました。町長が校長先生役で卒業証書授与までしてくれて。役場の皆さんも忙しい中、歌まで歌ってくれました。忘れられない思い出となりました。

都会にはない別のワクワクが、地方にはたくさんあります。色んな種類の野の花や薬草が生えていること。ツルでカゴを編んだり、稲藁でしめ飾りを作ったり、梅干しや梅酒を漬けたり、いただいた果物でジャムを作ったり。友人たちとは田んぼもしていて大変なことも多いけれど、自分たちで作ったお米を食べられることは、とても幸せなことだと思います。

都会で暮らしていたときは家賃を払うために働いている感覚がありましたが、お店の家賃も安いので(改修が必要なことは多い)、リスクが少なくやっていけています。野菜とかも自分で育てているのと、もらい物が多いので、あまり自分で買うことはありません。

ただ、お客さんの多い時期と少ない時期の差が激しいので、季節によってはすだちの収穫をするアルバイトをしたり、デザインの仕事を引き受けたりしています。このご時世、いつ死ぬかわからないし、自分は健康なだけでも幸せだと思ってきました。親も「好きなことをやった方がいい」と言ってくれてるし、ずっと周囲に恵まれていたような気がします。

自分に子供ができたら、また価値観が変わるだろうなとは思っています。子供のために稼がなきゃと思うだろうし、その時はまたその時考えるかな(笑)。ただ、覚悟を持って神山町に来た以上、地元の人たちに寄り添える感性を持ちつつ、お店では常に新しいことを提供したい。私が与えてもらったように、少しでも地元の人に貢献できる存在でいたいです。

こんまい屋 Facebookページ
魚屋文具店Facebookページ


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