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No.370 奇跡は起きるのか?

 「愚公移山」(ぐこうやまをうつす)という話は、好きな故事成語の一つです。
 「昔、中国の愚公という名の90歳にもなる老人が、家の前にある二つの大きい山を他へ動かそうと、遠くの海まで土を運び始めました。人々はその愚かさを嘲笑しましたが、愚公は、「たとえ私が出来なくても、子や孫やその子たちが、この行いを引き継げば山を移動させられるだろう」と言って、いっこうにひるみませんでした。その志に感じ入った天帝(神様)が、山を移動させて平らにした」という故事です。

 この話は、今から2,400年以上も前の話だそうですが、人間の知識のありなしではなく、自分のことを一途に信じて実行することで、どんな困難や苦難と思われるような難事業でも達成できて、努力は実るのだと言っているように思います。たとえ気の遠くなるような大仕事であっても、たとえそこに厚い壁があったとしても、「愚公移山」の志を忘れずに励んでいれば、いつかは天が味方して、それを乗り越え実現させる事ができるのだということでしょうか。しかし、それは単なる感傷論に過ぎないのでしょうか。いや、信じる者だけに訪れる奇跡なのでしょうか。

 一方で、天から見放されることも人間の歴史は教えてくれます。
 今から2,500年も前の『論語』(先進)には、次の言葉が書かれています。
本文…顔淵死。子曰、「噫、天喪予、天喪予」。
書き下し文…顔淵死す。子曰く、「噫(ああ)、天予(われ)を喪(ほろ)ぼせり、天予を喪ぼせり」と。
口語訳…顔淵が死んだ。子(孔子が)おっしゃった、「ああ、天がわたしを滅ぼしたのだ、天がわたしを見放したのだ」と繰り返し深く悲しんだ。

 顔回(紀元前521年~紀元前490年頃?)は、孔子の弟子(孔門十哲)の一人です。秀才だったので、孔子にその将来を嘱望されたほどの人物でしたが、30代で早逝しました。孔子の嘆きがよく表れたこの文章は、いかに顔回に期待を寄せていたかが分かります。顔回は名誉栄達を求めず、ひたすら孔子の教えを理解し実践することに努めたそうです。その暮らしぶりは極めて質素だったとか。孔子にも、神様にも気に入られてしまったのでしょう。

 新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」を原作とする日本映画『八甲田山』は、1902年(明治35年)に青森の連隊が雪中行軍の演習中に遭難し、210名中199名が死亡した大事件に取材しています。青森から八甲田山を目指した神田大尉(北大路欣也)率いる歩兵連隊は、天候回復の祈りも空しく数日間の猛吹雪に進路を阻まれ、次々に斃れます。
 「天は我々を見放したか」
の神田大尉の慚愧と絶望と落胆の言葉が、哀切を帯びています。

 私は、運命論者ではありませんが、自然災害にも、時運に逆らうことも容易ではない、いや不可能かも知れないと諒解しています。それでも、天に左右されるのではなく、ましてや天に可愛がられるのでも見放されるのでもなく、「信じて励む」ことが、何かを呼び起こす機縁になるかもしれないと、一縷の望みを託したい年齢に達しています。

 そんな奇跡を呼び起こす、そんな奇跡が起きても少しも不思議でない中学生・高校生たちを目の前にできる幸せをいただいています。一喜一憂し、悩み多き生活の中でも快活な笑顔を忘れない彼らのお陰で、心のシワ伸ばしをさせてもらっている私です。

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