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No.993 青空に書いた文字は?

2学期が始まった最初の授業で、某クラスの生徒から
「先生、夏休みの思い出話をしてぇ!」
とのご依頼です。「して下さい!」ではなく、「してぇ!」の甘えん坊的表現です。
「A先生は、○○に行った話をしてくれたんで!」
と、私の話を引き出す牽制まで大分弁でしてくれます。わしゃ、隣のおっさんか?
 
こんな爺さんの暑かった夏の行動に、彼らが興味を持っているはずもなく、少しでも授業の時間を潰したいという魂胆が目に現れています。チミたち、そんな演技力では、演劇部に入れんぞ!
 
暑中見舞いの1枚もなく、老人の夏を案じているとは想像し難く、サッサと授業に入って行きました。空振りして期待を裏切られると、あんな表情で顔を見交わすんだなと言うオマケつきでした。かわいい、愛すべき子らです。
 
雲一つない澄んだ青空が教室から見えました。ふと、どうやったら、あんな色の心になれるのかな?と思ったときに、心に浮かんで来たのは、
「青空に 指で字をかく 秋の暮」
の句でした。近代的な発想の、ロマンテックでいて、孤独なさびしささえ感じさせる句ですが、誰の句だと思いますか?

初めて聞いた時、私は、若い女性の句かな?それとも、
「不来方のお城の草に寝転びて空に吸はれし十五の心」
と詠んだ石川啄木のような感受性の鋭い若い少年の句かな?と思いました。
 
ところが、作者は、
「やれ打つな 蠅が手をすり 足をする」
で有名な、江戸時代後期の俳人・小林一茶(1763〜1827年)でした。『七番日記』に載せられた句で、文化11年(1814年)9月の作だと知りました。なんと、一茶51歳の時の句です。その瑞々しい感性に恐れ入りました。
 
「青空に指で、『秋の暮』と書いてみた、というのである。」
という解釈をされた方がおりましたが、そうなのでしょうか?「秋の暮」は「秋の夕暮れ」とも「晩秋」(「暮れの秋」)とも取れなくはありません。昔は、7月から9月までが「秋」という認識でしたから、9月の作なら晩秋の寂しさを言ったものでしょう。ただ、書いた文字が何だったかは、読者の想像に任せた句のように思います。ひょっとしたら、誰かに宛てたエア・レター?それとも、自らの心に刻もうとした決意の一文字?

とはいえ、青空に向かって指で綴ったその文字は、書くそばから消えて行きます。儚さと虚しさと切なさと寂しさのような感傷的気分を湛える近代的な感覚のこの句が、今から200年も前に詠まれたということに、私は大変驚きました。諧謔だけではない一茶という俳人の、個性的で「奥の深い魅力」を感じさせる句でした。
 
「青空に 指で字をかく 秋の暮」
皆さんは、秋空のカンバスに何という文字を書きますか?私は、「hope」と筆記体で書きたいと思いました。


※画像は、クリエイター・京本 薫💻情報発信の専門家&カメラマン📸さんの、タイトル「江戸川松戸フラワーライン コスモスの開花状況 2021」の1葉をかたじけなくしました。お礼申し上げます。