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No.1269 言葉に宿る命

『万葉集』(4,500余首)に「言霊」という語が見られるのは、僅かに三例だそうです。

その一つ目は、第5巻・894番の長歌「好去来の歌一首 反歌二首」です。
「894 神代より 言ひ伝(つ)て来(く)らく そらみつ 大和の国は 皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国 言霊の 幸(さき)はふ国と 語り継ぎ 言ひつがひけり (以下、略)」
(神代の大昔から言い伝えて来たことには、日本の国は、御先祖の神様達がこしらえられた立派な国であり、また、言葉には不思議な力(命)があり、それを現す国だと語り伝え、言い伝えて来ました。)
 
題詞にある「好去」は、「送別の時に、留まる者が行く者に対して贈る祝福の言葉」の意味だそうです。この歌は、天平五年(733年)4月の出発を翌月に控えた遣唐大使の多治比真人広成の訪問に際して、山上憶良(660年~733年)が贈った送別の歌だと言われています。

山上憶良は、遣唐大使が、危険な渡航を乗り越え、これからの慣れない異郷の地での言葉や活動が上手くいきますようにという祈りを「言霊」に託しているようです。

二つ目は、第11巻・2506番の柿本人麻呂(7世紀後半~8世紀初)の歌です。
「言霊の 八十の衢に 夕占(ゆふけ)問ふ 占正(うらまさ)に告(の)れ 妹(いも)は相寄らむ」
(四通八達の辻に出て、言霊に潜んだ不思議な力を夕占で自分は問おうと思う。どうぞ占いが託宣を下してください。いとしい人に会えますように。)
言霊の霊力にあやかりたいとする占いに籠める思いが、ビンビン伝わってきます。
 
三つ目の、第13巻の3254番歌も柿本人麻呂の歌で、
「しきしまの 大和の国は 言霊の さきはふ国そ まさきくありこそ」
(日本の国は言霊が幸をもたらす国です。私が言葉で「ご無事であれ」と申し上げます。どうかご無事でいて下さい。)
大和の国は、言霊と人が共存しているという「言霊の 幸(さき)はふ国」の言葉を、憶良も人麻呂も共有概念のように用いたところに注目されます。私のゆかしきポイントの一つです。
 
言葉は「諸刃の剣」のように、使い方によって、一方ではよい結果をもたらすけれど、他方では災いを招く恐れもある危うさを秘めています。めでたい席での「忌み言葉」などはNGとされますが、その名残でしょう。言葉に宿る命の鼓動を嫌でも感じてしまいます。

言葉に精霊(命)が宿るという発想は、人類が獲得した共通の財産だと思います。だから、「人に幸あれ、人に希望あれ、人に未来あれ。」と口にしたくなるのです。


※画像は、クリエイター・「いろいろ書くちー@糸と筆の人 ちづる」さんの心和む1葉です。お礼を申し上げます。