No.746 頭のてっぺんから爪先までいただきし父よ母よ
ご両親の年齢はおいくつですか?
私は、1975年(昭和50年)に父を54歳で失い、2013年(平成25年)に母を85歳で見送りました。母には、父の分も長生きしてほしいと願っておりましたが、戦前・戦中・戦後を生き抜いた心と体は,安らかに逝きました。
「子曰、父母之年、不可不知也、一則以喜、一則以懼」
「子曰く、父母の年は知らざるべからず。一(いつ)は則(すなは)ちもって喜び、一は則ちもって懼(おそ)る。」
(孔子先生は言う。両親の年齢は覚えておくと良いよ。一つには長寿を喜ぶために、そして、もう一つは老いを気づかうためにだよ、と。)
『論語』子罕(しかん)編第九の六にあることばです。紀元前552年(又は、紀元前551年)に生まれ、紀元前479に74歳で没した孔子が、弟子と問答した内容を、孔子の死後に弟子(弟子の弟子?)が書物(20編512文)として残したものが『論語』だと言われています。また、この「子罕」(しかん)とは、弟子の名ではなく、「(孔)子が罕(まれ)に言う」という意味だそうです。
孔子の父は既に60歳(70歳説も)を超えており、孔子3歳の時に亡くなっています。また、母は身分の低い16歳の巫女であったといいます。この母も、孔子が17歳(24歳説も)の時に亡くなったといいます。孔子は孤児として生き、特定の師に就くことなく、学問を修めたのだそうです。
若くして両親を失った孔子にとって、父母への畏敬と思慕の念はひとしお強いものだったと想像できます。孔子とて人の子です、両親の長寿を祝いたかったでしょう。老いてゆく両親に優しい言葉をかけ気遣いたかったでしょう。それは叶わぬままに終わりました。それゆえに、父母の年齢を覚えておくことの大切さを説いたのだと思います。そして、それはとりもなおさず孝行につながって行くのでしょう。
昨日、母の祥月命日も近いので帰省し墓前にお参りしました。早いもので、あの日から9年が経ちました。
「開戦の日ではなくジヨン/レノンの命日と紹介さるる十二月八日」
小野雅子
※画像は、クリエイター・Zenpakuさんの、タイトル「エキゾチックな街『長崎市』」をかたじけなくしました。画像の説明に「長崎の孔子廟」とありました。お礼申します。