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No.707 わかってもらい、わかろうとする心の交流は?

先日、予約した日時に市の健康診断を受けに行きました。そこで見たちょっとしたことなのですが、みなさんと一緒に考えられたらなと思い、画面に向かっています。
 
主人公は、80歳前後の老人でした。付き添いもなく一人でセンターに来たようでしたが、何か落ち着かぬ素振りで診療センターの待合室をうろうろしていたので、少し気になっていたのです。
 
私は、受付で採尿カップにを受け取り、言われたとおりに採尿を済ませた後、トイレの一番奥のわきにある「小口」に採尿コップを差し出しました。そして、更衣室で着替えを済ませ、待合室①で次の検査が呼ばれるのを待っていました。
 
すると、件の老人が採尿コップを持ったまま待合室①に来て、床に尿の入ったコップを置きました。あれ?と思いましたが、私が声かけるよりも先に職員の方が気づいて、
「それ、尿が入ってるんですかね?そしたら、男子トイレの中に『小口』がありますから、その中に容器を収めてください。」
と言って老人をトイレに促しました。受付で言われたのと同じ文言でした。
 
ところが、少しして、その老人は、採尿コップを持ったまま、また戻ってきたのです。職員の言う「小口」が見つからなくて、男子トイレから出てきたのでした。確かに、男子トイレの奥の端っこに小さな窓があり「小口」と書かれているのですが、老人には見つけることが出来なかったのでしょう。現に、私も、ちょっと探しましたもん。
 
トイレ内に「小口→」などの案内マークを数か所貼り紙してあるだけで迷いなく提出できるのでしょうし、説明の時に「小口」というだけではない場所の分かりやすい簡単な説明をもう一言付け加えてくれたら、老人も見つけやすかったのかなと思いました。
 
内田樹さんの「『身銭』を切るコミュニケーション」という文章が国語の教科書に載っています。言葉を伝える難しさから、一方的な語りかけではなく、話し手が手間暇をかけて相手に分かりやすく説明してあげることが大事だという論旨です。時間をかけるのではなくて、分かりやすく話すことを述べているのだろうと思います。
 
老人に伝わらなかったという事は、「あの老人だけが理解力不足だ」と考えるのではなく、今までの伝え方では不十分だったのだなということに気づいて、なにか「手間暇」をかけてあげることはできないものか、そんなことに気づいていただけまいかと思った次第です。「伝える」のではなく「伝わる」ことの手間暇を…。

※画像は、クリエイター・メイプル楓さんの、タイトル「みんなのフォトギャラリー / Vol.019-No.029」をかたじけなくしました。好奇心こそ成長の1歩。お礼申します。