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写真のように 第9回 毒消し草は○○の夢を見る

写真集・写真展評 渡邊耕一『毒消草の夢 デトックスプランツ・ヒストリー』(フォトシティさがみはら)

私が住む東京西部の町田市に隣接する神奈川県相模原市は、毎年秋に文化事業の一環で写真賞を選出する「フォトシティさがみはら」というフォトフェスティバルを開催している。カメラメーカーの日本光学が相模原市にレンズ工場を持っていたことから、同社の支援で2001年から始まった賞ですでに23年も続いている催しである。若手写真作家に対して積極的に賞を与えたり、受賞作家の作品を買い上げて収蔵するなどそれなりに熱心に取り組んでいるにもかかわらず、知名度がいまひとつという印象は否めないのだが、その「フォトシティさがみはら」が今年は素晴らしい受賞展示をおこなった。一地元民として感銘を受けたので、ここに書き留めておく。

「フォトシティさがみはら」はプロの部とアマチュアの部に賞を区分している。プロの部では渡邊耕一が、写真集『毒消草の夢 デトックスプランツ・ヒストリー』(青幻舎、2022)で大賞となるさがみはら写真賞、さがみはら写真アジア賞をERIC『香港好運』、さがみはら写真新人奨励賞を宛超凡『河はすべて知っている-荒川』、同じく新人奨励賞を西野嘉憲『熊を撃つ Bear Hunting』がそれぞれ受賞した。特に写真賞の渡邊耕一『毒消草の夢』の展示は、写真・文字・資料を駆使した立体的な構成が印象的で、作品世界が十二分に伝わる内容だった。

fig.01 『毒消草の夢 デトックスプランツ・ヒストリー』 (相模原市民ギャラリー 2023年10月6日〜10月23日)展示風景

「コンタラエルハ」を追いかけて
渡邊耕一は関西で活動する写真作家で、これまでに写真集を二冊刊行している。一冊目の写真集は『MovingPlants』(青幻舎、2015)という日本固有種の植物“イタドリ”を追いかけ、欧州で侵略的外来種になっている現状をテキストと写真でまとめたものだった。日本の現状に即して言えば、カナダ人が日本におけるブラックバスの被害を追って湖沼を廻って写真を撮って文章を書いた本を出版した、ということになるだろうか。研究論文+ドキュメンタリー&ロードムービーという体の作品集である。
今回の受賞作品『毒消草の夢 デトックスプランツ・ヒストリー』は、江戸末期の蘭方医学書で見つけた「コンタラエルハ」(昆答刺越兒發)という植物の名前に興味を持ち、その植物の正体を知るべくカメラを手に植物探求の旅に出た成果を一冊にまとめた写真集である。写真に加えて、このテーマに興味を抱くきっかけになった蘭方医学書の複写と由来、調査の経過などが文章にまとめられていて、読み物としても十分におもしろい内容だった。

写真集『毒消草の夢』の内容を解説していく。江戸末期の複数の医学書に「コンタラエルハ」という海外の植物とおぼしき名前を見つけた渡邊は、その響きに魅了されて植物の正体を探す旅に出る。その手掛かりを得ていく過程で、メキシコ原産の植物について書かれた書物で「コンタラエルハ」と再会する。「コンタラエルハ」は、スペイン語で「毒消草」という意味だった。早速18世紀の図鑑で調べたら、「昆答刺越兒發」とされた和書に描かれた植物図とは似ても似つかない。この取り違えはどうして起こったのか。調べていくうちに同じ名前をもつ植物が幾つも登場しては消えていく。「コンタラエルハ」探求の旅は植物の特定に留まることなく、15世紀から18世紀に至るプラントハンターと薬草学の歴史に踏み込んで辿っていくことになる。そして、読者は15世紀から始まる人類と薬草の物語へ誘われていく。

fig.02 『毒消草の夢 デトックスプランツ・ヒストリー』(青幻舎、2022)
fig.03 『遠西医方名物考』(1822-1825、宇田川玄真 )に見られる「昆答刺越兒發」の記述(左)、『遠西船上画譜』(1855、馬場大助)に見られる「昆答刺越兒發」(右)

大航海時代とプラントハンターの夢
渡邊は「コンタラエルハ」の候補のひとつで、香港市の紋章にもなっているバウヒニア・ブラケアナを求めて香港に飛ぶ。15世紀の東洋には、香辛料や植物の収集に熱心で薬草の交易を行っていたVOC(連合オランダ東インド会社)があった。インドに拠点を置いたVOCは、プラントハンティングに精を出す。15世紀から18世紀にかけてはまだ化学以前の時代である。医学・薬学はすべて薬草すなわち植物に頼っていた。大航海時代を謳歌した西欧国家は、香辛料獲得やキリスト教の布教と等しく国策で薬草探しに力を入れていた。特に新大陸の覇者・スペインは、メキシコや南米で植物の採取をおこない、ぼう大な情報を蓄積した。また、鎖国中の日本においても薬草学や本草学は幕府直轄に置かれ、学者たちは熱心に海外の薬草と薬効の調査と研究をおこなっていた。「コンタラエルハ」の記述は、蘭書の調査と翻訳作業の過程で発生したものだった。ようするにこの時代の人類は医療全般を植物の薬効成分に頼り、その分析と研究に熱心だったわけだが、背景には14世紀に欧州全土を襲ったペストの大流行がある。
余談だが、カール・フォン・リンネが発明しわが国では牧野富太郎の業績として知られる分類学と学名による分類体系は、薬草の薬効を効果的かつ効率的に系統化するのに重要であり、この時代に発展したものである。

fig.04  『毒消草の夢 デトックスプランツ・ヒストリー』(青幻舎、2022)より「シロバナソシンカ、湾仔、香港」

生態系をめぐる物語への誘い
渡邊は香港に続き、西洋薬学書から書き写した『遠西医方名物考』にあった無彩色の「コンタラエルハ」図(fig.05)を手掛かりに、メキシコ原産の植物・コアネピリを追ってメキシコに飛ぶ。メキシコシティからユカタン半島に移り、再びバウヒニア・ブラケアナを追ってインドネシアに赴く。もうこの辺りになると、時代が百年単位、地理的移動距離は数千キロと大きく、あまりに壮大すぎてめまいがしてくる。渡邊の探究心とそれを支える情熱が並大抵では無いことをひしひし感じる。
渡邊の探究心は研究者のそれと近いが、表現力についても作家として十分な実力を備えていると思われる。まず、文章がうまい。動機と過程と結果の説明がまったく破綻なく、しかも読みやすくわかりやすく文学的でもある。そして、写真の腕も確かなもので、難しいはずの植物の写真は総じて魅力的に写っており、書物の複写も大判カメラのアオリを使って写実的に撮られている。正直、写真もすごく上手いと思う。写真は独学で学んだと聞くが、独力でここまで腕を磨けるとは思えないので、きっと多くのワークショップを受講して技術を身に付けたのだろう。本写真集の出版に至るまでに、如何に多くの知識と経験を蓄積し研鑽を積んできたであろうことが、写真集からよくわかる。

fig.05 『遠西医方名物考』(1822-1825、宇田川玄真 )に見られる「昆答刺越兒發」の画(左)、 『毒消草の夢 デトックスプランツ・ヒストリー』(青幻舎、2022)より「アリストロキア・マキシマ、CISY レヒオナル・ロヘール・オレジャナ植物園、メリダ、メキシコ・ユカタン半島」(右)

写真におけるゲームとは何か
渡邊の旅は、和歌山県で終わる。最後に訪れたのは、最初の「コンタラエルハ」候補だったバウヒニアの、日本在来種である「ワンジュ」(彎珠)の自生地だった。結局、「コンタラエルハ」の特定には至っていない。「コンタラエルハ」とは「毒消草」であり、総称である。幕末の蘭学者、本草学者たちが追い求めたのはいくつかの「毒消草」で、それは日本にも近似種があったという結論だが、この結論は学術文献にとっても「コンタラエルハ」を捜す旅の物語にとってもふさわしいエンディングだと思う。通常の写真集よりも読むのに時間がかかったが、読後感は爽快で豊かなものだった。写真集から得られる体験として、これだけ上質なものはなかなか無いと思った。
JR横浜線相模原駅ビル4階にある相模原市民ギャラリーで開催中の展示も素晴らしかった。額装された写真のセレクトと配置、資料として使われまた作品世界への導き手となった18世紀の植物図鑑の展示、解説の掲示の仕方も『毒消草の夢』の世界に導くに足るクオリティを備えている。私は作者である渡邊自身の解説を聞きながら拝見したのだが、それは知的好奇心を十全に満たされる貴重な経験だった。そして、あらためて写真とは知的なゲームであると思った。もっとも彼の場合は、ある謎についてカメラを持って解きに行くという冒険を含んだゲームを最終的に物語としてまとめるというかつての冒険譚のようなものではあるが。毒消草の夢はいまでも私たちを大航海時代に誘い、先人たちが抱いていた夢と欲望の記憶を教えてくれる。

fig.06 『毒消草の夢 デトックスプランツ・ヒストリー』 展示風景(左)、会場に展示された18世紀の植物図鑑(中)、作者・渡邊耕一(右)

粒ぞろいだった各賞の展示
さがみはら写真アジア賞のERIC『香港好運』、さがみはら写真新人奨励賞の宛超凡『河はすべて知っている-荒川』、同じく新人奨励賞・西野嘉憲『熊を撃つ Bear Hunting』の展示もすごく良かった。宛超凡のパノラマカメラで撮った横長の日本の川と川沿い集落の写真は構図が素晴らしく良く、プリントも美しくとても印象に残った。若いのに完成度高い作品を作るなとすごく感心した。できればハードカバーの写真集にして欲しいと思う。
意外と言っては失礼だが、熊狩りの猟師に随伴して撮影をおこなった西野嘉憲の熊狩りのドキュメンタリー作品にも驚かされた。猟師が熊を撃つ真後ろからシャッターを切るところを撮っている写真もあったのがすごい。まさに現場で被写体に肉薄した一枚だ。そして、銃の代わりにカメラと三脚を担いで山に入って熊を追う行為がすでにリアリズムに裏打ちされた未知へのアプローチであり、可視化することができないものと社会を繋いでくれる。2023年のさがみはら賞の展示は、これまでになくテンションが高く粒ぞろいだった。ぜひ終了する前に観て欲しいと思う。 (了)

fig.07 宛超凡『河はすべて知っている-荒川』展示より(左)、西野嘉憲『熊を撃つ Bear Hunting』展示より(右)

展覧会情報
題名:総合写真祭「フォトシティさがみはら」
会場:相模原市民ギャラリー
住所:神奈川県相模原市中央区相模原1丁目1−3 セレオ相模原4階
会期:2023年10月6日(金)〜10月23日(月)  10:00-19:00、水曜休廊。
https://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/kankou/bunka/1022291/photocity/index.html
協力:小田急電鉄(株)、神奈川中央交通(株)、菊屋浦上商事(株)、(株)東京きらぼしフィナンシャルグループ、相模ガス(株)、相模中央写真師会、相模原市印刷広告協同組合、相模原橋本ロータリークラブ、(株)ニコン、(株)ニコンイメージングジャパン、(株)ノジマ、フォトシティさがみはらサポーターズクラブ、富士フイルムイメージングシステムズ(株)、ミウィ橋本、UNION ART PRODUCTS

写真集情報
書名:『毒消草の夢 デトックスプランツ・ヒストリー』
著者:渡邊耕一
出版社:青幻舎
価格:6,000円+税
販売:青幻舎オンラインショップ
https://shop.seigensha.com/collections/new/products/978-4-86152-896-5

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