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約40年前の地方博を地元で役立たせたい!①(自分はまだ生まれていない件)

地方博というものが1970年代~1980年代に流行って各地で開催されていたのをご存じだろうか。
大阪博やつくば博、沖縄海洋博などとはまた違う分類になる彼ら地方博は地方自治体が主体となり企業や海外を誘致して人々を楽しませた。

国際博開催後の土地は公園になったり遊園地になったりするものだが、
じゃあ彼ら、地方博は…開催後どうしているのか?

そして今、私はその地方博のゆくえを明確に、後世へ残すことを託された。

当然、私の生まれは平成。当時の様子など直接見ていない。

博覧会は一大イベント

国際博は日本でいうところの1970年大阪博や2005年愛知博を指す。
1985年のつくば博は国際科学博でまた別の区分になる。
地方博は天王寺博や横浜開港博などを指す。

似たようなもので違うのだ。
しかし日本人は(おそらく)お祭りが好きなのでみんなこれらの博覧会は一大イベントだったようで、ちょっとした旅行気分で訪れていたのだろう。

結局地方博ってなんでやったのか?

何の目的で全国各地で開催されたのか?
関東平野、栃木県は正直、私が子供のころからもうすでに
「影が薄い県」として有名だった。
有名なものはあるけど…なんもねぇべ!みたいな風潮であった。

とちぎ博が開催されたのは1984年。
私は1994年生まれなのでそれより10年前の話である。
当時の栃木県の印象というのはどうだったのか。当然知る由も無いが、小学校の社会科の授業でうっすらとやったような記憶がある。

多分、土地の有効活用や観光資産目的で開催されたのが主な目的かと思う。
なにせ地方自治体が主体となって後援に企業が連なるのでそう考えるのが筋か?色々考えてみたが多分そういうことなんだろうな。
有り余る土地、税を徴収しなければいち田舎の県の経済は成り立たぬし、時は高度経済成長期でマイカーブームから始まり日本各地へ旅行へ気軽に行けるようになった背景からそんなことを考えていた。

開催までの苦労、そりゃそうだよね…(察し)

とちぎ博というのでまぁ平たくいうならば道の駅のデッカイイベントなのか?と印象を受けたり受けなかったりするやもしれないが…
しかも栃木ってどこさ?え?北関東?南東北じゃなくて?いやいや、関東ですよちゃんと。(?)
聞くところによると、参加企業を募らせるのに関西、九州、北は北海道にも足を運んで「栃木こんなとこなんです!!」って言っては「どこさそこ?」状態だったそうだ。
その状態から開催、黒字閉幕できたのはまさしく事務局の人々の努力苦労のたまものだ…。

閉幕後の地方博ってどうなったんだべ?~とちぎ博の場合

閉幕後の土地活用というのは大きな国際博でも結構話題になる。
前回日本で開催された2005年愛・地球博では緑豊かな広大な公園として生まれ変わり、パビリオンは当然解体されたものが占めるがこの時のテーマに合わせて別の場所で”パビリオンの第二の人生”を与えた。ついこの間は期間中入るに入れなかったサツキとメイの家を中心にジブリパークがオープン。
愛知博のメイン会場となった長久手は当時のいった記憶上では周りは田んぼしかなかった。
そんな記憶の中そうやって観光集客や市民の憩いの場として生まれ変わらせたなかでは大成功の分類に入ると思う。

じゃあとちぎ博の場合はどうか?というと地元民からしたら
「渋滞ヤバい」「工業団地」「野球しに行く」くらいのイメージしかないのでよほど周囲に住んでいる人か通勤している人しか近づかない。
正直私も近づいたことはあるけど片手で数えるほどしかない。
現在清原工業団地としてカルビーやキャノンの工場、野球場が軒を連ね、近くに作新学院大学がある。
さらに今年の8月には次世代路面電車LRTが開業する。
カルビーの工場はおそらく宇都宮の小学校出身者ならば社会科見学で訪れたことがあるだろうか。

宇都宮市としても現在は工業発展の街、という認識かと思う。
そして何か博覧会の記念モニュメントか、あるいは施設があるかと聞かれるとそれも無いのだ。
何故か数キロ離れた平出工業団地の北側にある、大きな歩道橋に”84とちぎ博 歩道橋”と名前が…しかし開催地は清原である。なぜ平出にこのとちぎ博の名前が刻まれたかは不明だが、当時の関係者が何か残したいと思って残した結果、苦肉の策がこれ(らしい)。
なんとも…気の毒な地方博の末路。

数十年後、託された地方博の想い出

ひょんなことから、とちぎ博の事務局(=開催実行委員会)のOB方と連絡を取れるようになった。当然私なんかよりずっと年上で、皆さん県の職員だった引退組。余暇を思い思いに過ごしているそうだ。

毎年夏の時期になると同窓会を開くそうで、招待されたので挨拶に行くと、約40年前の出来事だというのに鮮明に「あの時はこうだった」「あれが大変だっただ」「若かったな~」「あれどうしたべか~」などと華が咲く。
現役時代の、故郷の一大イベントを担っていたので、華々しい話よりか苦労話のほうが多いみたいだ。

そりゃそうだ、いまだに「栃木ってどこだ?」なんて思われるほど。昔のほうがよほどずっと知名度が低かったから誘致も一苦労どころか五苦労くらいしただろうと思う。

正直40年前のものを…悩みの種である

で、活用方法を考えるものの…
中々出てこない。いや、出しにくい。企画倒れもんだ。
40年も前で、影が薄い県とか呼ばれていたところの地方博。開催された土地は今や工業地帯。知っている人もほとんどいない。残っているのもほとんどない。当時目玉だったであろう観覧車は現在群馬県で活躍中。どうせなら県内で活躍してほしかったものだ…と色々落胆するものがありすぎて難しい。

1年は考えてみたものの、内容が薄くなりがちで限界を感じてしまった。
したがって、思いつくメディアやお店に話を振ってみることにした。

市役所

とりあえずとは言っては何だけども、趣旨を話して相談できるかと訪れた。
開催されたのは宇都宮市だし…LRT通るし…国体終わったし…みたいな謎の消去法で思いついたのがまず市役所。

ラジオ局

最初に行ったのは知っているコミュニティラジオ。かれこれ10年以上前から局自体を知っていてメディアの協力も必要だろうと考えたがいきなり大きなところに行く勇気も無いに等しかったので体当たりで相談しに行った。
実は知り合いがやっているので「助けて~!!」という感じで飛び込んだ。
色々意見やアイデアを頂いたので今後もお願いします本当に。

老舗餃子店

宇都宮でも1位2位を誇る老舗餃子店。とちぎ博開催時にフード提供をしていただろう…という憶測から本店へ問い合わせを入れる。
情報や写真などあれば貴重なものだ。しかしあるのかは不明。

茨の道すぎる!地方博の活用活動!

とりあえず思いつく節のあるところへ訪れたり意見を聞いたりしてみて…
うーん、やはり難しいんですよ。
何せ40年も前の過去のものをひっくり返してやるというのは…
趣味レベルの収集から何やらデッカイ話に持ってきてしまったんですけど
やっぱり地元好き~何か役に立ちたい!
そんな思いからデザインも学び始めました。
とちぎ博も何かに役に立てたら楽しいと思うんです。

どうなるか…まだわかりませんが…
何か進展があると…

面白いことが起きるな!!と思っています。作文。

続報にご期待。

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