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#ジオパークで生きる人06|四季の恵みを島食に。島食の寺子屋としてその営みを紡ぐ。

「#ジオパークで生きる人」「ジオパークの実践者」として主に第一次産業と食に関わる島民を主に取り上げる本特集。彼らが語る言葉にある今の隠岐そして彼らから見るジオパークを実直に、映し出します。

今回お話を伺った恒光一将(つねみつ かずまさ)さん。
パッと目を引く白色が特徴の校舎前での一枚です。

はじめに
 隠岐諸島にある中之島・海士町の一番南の地区、崎地区に校舎を構える"島食の寺子屋"さん。ここは和食の料理人を育てる場所であり、生徒は離島の海と山と里の恵みをふんだんに受けながら一年間学びます。今回はこちらのコーディネーターを務める 恒光 一将(つねみつ かずまさ)さんからお話を伺いました。恒光さんが"島食の寺子屋 コーディネーター"という職に就いた道のりから、「食」という立場から考えるこの島の一次産業とその未来まで。どうぞお楽しみください。


島食の寺子屋 について
 "離島で和食を学ぶ「海へ、山へ、里へ」"をコンセプトとして2018年に始まりました。校舎から少し足をのばせば見える定置網の漁港、季節ごとに美しく生える山菜の数々そして農業や畜産業を営む生産者の方々との繋がりも多くあります。人口2000人ほどの小さな島につまる生物多様性を強みに四季折々の恵みから和食の原点を。「寺子屋」という名の通り少人数での行き届いた環境も魅力の一つです。"

島食の寺子屋 note はこちら ↓


僕が島食の寺子屋に辿り着くまで。
 "
こういった食関連のお仕事をさせて頂いていると「以前から食に関係する職業だったの?」なんて尋ねられる時がありますが、前職は国際輸送に関するお仕事。なので全くといっていいほど関係はありません。でも元々一次産業に関心はあったので酪農の生産現場を見に行ったり牛肉の加工・販売現場にも訪れたりして転職を迷う時期がありました。そんな中たまたま見つけたのが島食の寺子屋の運営募集だったんです。一次産業の現場ではないけれど「食」の全体に関われる仕事であることに興味が沸き、来島することを決めたのです。

校舎の玄関を入ってすぐの大きな棚には食器が数多く並びます。「食を彩る大事な要素だから沢山揃えています」とお話下さいました。

 そして島食の寺子屋の成り立ちも簡単にご紹介すると、始まりは和食料理家の齋藤 章雄(さいとう あきお) さんが海士町を訪れた際に感じた一つの島につまっている「海の恵み」「山の恵み」「里の恵み」だったそうです。海士町の魅力に魅せられて発した「この場所で料理人の卵を育てたい!」という一言から「島食の寺子屋」プロジェクトは動き始めたそうです。"

隠岐の気候に育まれた食材を生かす料理を。
 
"歴史的にも隠岐は古代から海産物の山地として知られ、江戸時代には北前船と呼ばれる商船の寄港場としても有名でした。例えば日本海の厳しい風の中で1月-2月にお母さんたちが岩場に収穫しにいく岩のり。温かい対馬暖流が北上する漁場では多様な海藻が見られ、岩のりもその一つです。そして岩のりを使って握ったおにぎりは「ばくだんおにぎり」と呼ばれ、隠岐の名物の一つ。
 しかしこうした地産料理を食べる機会はだんだんと減少しており、海士町役場としても隠岐の食文化を継承し育てる場所づくりの必要性は感じていたといたそうなんですよね。

校舎がある崎地区に向かう道で撮った一枚。内航船であるフェリーどうぜんが悠々と内海を行きます。

 そして一代目の先生を引き受けて下さったのは「食の外交官」とも呼ばれる公邸料理人の経歴がある料理人の方でした。公邸料理人は日本大使館や総領事館の公館長付きの料理人として、各国の要人や外交官に日本食を振る舞います。常に求められるのは限られた海外の食材で最高の日本料理というおもてなしをすること。

 離島は確かに豊かな恵みがありますが、自然相手なので安定して食材が手に入るわけではない。例えば港に魚を買いにいったとすると、「一日目は規格外の鯵、二日目は中型の平政、三日目は時化で船が出せず0匹」という感じ。条件は違いますが 「限られた食材で求められる料理を作る」という点では同じだと思い、オファーを申し込みました。話をするとすぐに「面白いね、行くよ」という二つ返事で答えが返ってきたことをよく覚えています。"

みんなで寺子屋をつくっていく。
 
"それでも寺子屋スタイルを確立するまでは、試行錯誤の日々でした。例えば、「料理は背中で覚える」っていう言葉がありますよね。実際僕が見てきた中でも料理の世界で師匠が弟子に教えるのはその手つきや間合いであって、言葉ではないようでした。しかし島食の寺子屋の生徒さんは経験者もいますが殆どが初心者で入ってくる方であり、生徒として学ぶ期間も限られています。

 感じたのは、"変えるところ"と"変えないところ" をしっかりと線引きする必要性でした。"変えるところ" でいえば指導する際に「言葉で伝える」、つまり嚙み砕いて論理的に説明する方法を先生と共に模索しました。でも包丁の感覚や魚の焼き加減、、料理には数値では表せない部分もあります。そこは先生の手つきや間合いをとにかく見て覚えて、繰り返し練習することで感覚を身につけていく。このすみ分けをきちんと作っていくことが寺子屋のスタイルになっていきました。"

「ここだ!」と惚れ込む魅力を探して。
 
"そして一年間のプログラムを作る上で大切にしたことは生徒が多くの生産者の方と繋がることでした。島食の寺子屋では 「料理人として扱おうとしている食材の出自が如何なるものか」 を知る上で、生産者が不可欠な存在であると考えています。

 校舎がある崎地区では、この海士町の気候を生かしながら一次産業に取り組んでいる方々が多くいます。「崎みかん再生プロジェクト」もその一つです。温暖な気候で育てるみかんですが、崎地区では昭和30年代から温州みかんの栽培が行われてきました。しかし担い手不足等の問題で生産量が大幅に落ち込みました。そこで地元のみかんをまた作ろうと始まったのが「崎みかん再生プロジェクト」であり、現在も冬近くになれば「崎みかんは出たのか?」という会話が商店では聞こえてきます。また海士町の漁獲量の約6割を担うとされる定置網の漁場も崎地区にあり、船に乗らせてもらうこともあります。

定置網漁業を行う船の様子。

  生産者さんとの繋がりを大切にする理由は僕自身がコーディネーターという仕事柄、多くの生産者の方と関係値を築いてきたことにあります。関係を深める中でネットに載っているような情報だけじゃなく、本当の現場の人じゃないと喋れないことが沢山あることを強く実感したんですよね。だから校舎の中で技術を学ぶ時間と同じくらい、外に出ていって学ぶことも大事だと思うんですよ。生徒自身で島を知り、島の人たちとの関係性を築いていく過程もかけがえのない経験になるんじゃないかなって考えています。"

「食」を通して島の多様性を知る一年間。
 "仲良くなって、生徒自身にも変化が生まれてくることもあります。ある生徒は農作業に興味があるというよりかは「和食を学びたい」という思いを持って入ってきました。でも卒業する際に「料理は食材があって出来ること。そしてその食材は生産者が作ってる。それなら生産者を考えないで料理を作ることは違うなって思った。」と話してくれたんです。

 こうやって島民と繋がることで起こる化学反応が僕は好きです。生徒側が前のめりになって学ぶ姿勢でいれば、だんだんと島の人も答えてくれるんですよ。思わぬ化学反応が起きるような場所は、寺子屋にとってこれからも欠かせないピースです。"

人生をそっと後押ししてくれる環境で。
 
"また島食を提供する場として、「離島キッチン 海士」があります。
(離島キッチンのホームページはこちらから!)

 後鳥羽上皇が御祭神として祀られる隠岐神社の境内の麓に場所を構えています。最初は箱膳のようなお弁当を提供することから始まったのですが、最近では懐石料理にも挑戦しています。生徒は料理を作るだけでなく、お客様に提供するところまで自分たちで行うため、生徒にとっても「食」の過程を実践できる場所としても貴重な場です。心を込めて作った料理がどのように楽しんでいただけているか、反応を直にみながら、悩んで、動いて自分を分かることもたくさんあるようです。

こちらは県外から視察で訪れたお客様へ提供を行う様子です。海士町の食材をふんだんに使っておもてなしをします。

 入学時に思っていたようにそのまま料理人として進んでいく生徒もいれば、生産や提供に興味を持つ生徒もいます。僕も寺子屋での一年間だけでなく、卒業した後の人生も一緒に考えられるような関係性でありたいと思います。だからこそ島というフィールドを生かして、自分が関わりたい道や興味をぐんぐんと広げていってほしいと思っています。" 

しごとに島民・恒光の思いを乗せる。 
 "そして今の自分が行っている仕事の軸にあるのは、「島民と島食の寺子屋を繋げること」。交わることでどちらにとっても良い化学反応が起きることを望んでいます。最近、お食い初めのお料理をご自宅に伺って作ったことがありました。食器もそのおうちのものを使わせてもらい、綺麗に盛り付けを。お食い初めは生後100日の赤ちゃんに向けて、「将来食べることに困らないせんように」という願いがこもった大切な行事です。

授業の一環として魚捌きを行う様子。こちらで捌いた魚は海士町内の給食センターや泊まれるジオパーク拠点施設 Entôにも届けられています。

 そこに出張料理という形で力添えが出来たことは嬉しかったですし、生徒の実践の場になりながら島民の方が島食を食べる機会にも繋がりました。島という目線でみても生徒が積極的に校舎の外に出て島食を作ることは、食のインフラを支える存在になりえるかもしれません。"
 
四季の恵みを生活に、島食に込めて。 
 "僕がこのプロジェクトに参加した段階で決まっていたのは、「和食の料理人を育てる」ことと校舎のレイアウトのみでした。そこで僕が行ったのが  「島を知ること」でした。齋藤 章雄さんが「ここだ!」と惚れ込むような魅力を自分でもわかりたかったんです。過ごしてみると島での一年は、あっという間に過ぎていきました。例えばみょうがは夏も秋もとれる山菜ですが、少し時期がずれればもう取れない。だから手を抜かずじっくり季節を追いかけないといけないんです。そしてそれはいつからか、仕事への向き合い方とも通ずる思いとなっていったと思います。

2021年度一年間コースでの卒業制作弁当。卒業した生徒は一年間で得た興味関心を次の進路に繋げて様々に進んでいきます。

 今置かれている環境を大きく変えようとするのではなく、"どうやってより充実したものにしていけるのか "を一生懸命やっていく。「和食の料理人を育てる場所」としても「島に島食を届ける存在」としても大事にすることは変わらずに、これからも着実に歩んでいこうと思います。"

筆者からのひとこと
 小さな島だからこそ理解しやすい人と自然の循環に敬意を払い、山海森の恵みを生かして島食を届ける。そしてその活動を学びとして提供する「島食の寺子屋さん」の存在を知った時、隠岐のジオパーク活動に通ずるものを感じ取材を申し込みました。今までとは少し違う側面からの「ジオパーク」はいかがだったでしょうか?