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読書経験が豊富な児童と少ない児童の差

大学院では、前期と後期の年2回、課題発見実習といって10日間にわたる実習を近隣校で行う。2月1日からその実習が始まっているのだが、そこで私は文学の授業をさせてもらっている。

2クラスの子どもたちの授業を参観して思うことは、初発の感想を書かせたときに、読書経験が豊富な子と読書経験が少ない子の感想の違いである。

読書経験豊富な児童というのは、わりと一読しただけで、作品の全体像を捉えることができるので、作品に同化しながら読み進めることができる。

しかし、読書経験が少ない児童は、一読しただけでは、作品の全体象を捉えることがなかなかできず、どちらかというと一部分にのみ反応している様子が見られる。

『初雪のふる日」では、最後の場面の「この子は白うさぎにさらわれそうになったのだ」と言ったお年寄りは、どうして女の子がさらわれそうになったことを知っているの?というように…

読書経験が少ない児童には、いろいろなことが疑問になる。おそらく読んだ経験が少ないため、伏線に気づくことができないのだろう。

だから素直な疑問がたくさん出てくる。もちろんこの疑問には浅い疑問(すぐに解決できる疑問)と深い疑問(精査・解釈しないと解決できない疑問)があるのだけれど…

読書経験が豊富な児童は、ある程度の伏線は、自分の中で想像して読むことができるため、疑問としてわざわざあげる必要はない。

だからこそ、読書経験が豊富な児童には、疑問はないか?と問いかけていくことが大切なのだと思う。疑問をもたずに、さらさらと作品を読み進めていくことができるからこそ、もう一度立ち止まって作品と向き合わせるために、「何か疑問に思ったことはない?」と聞き、疑問探しをさせるのだ。

それを繰り返すことによって、だんだんと疑問をもつ練習ができてくるのだと思う。これは習慣化できるように、何度も訓練しなくてはならないのだろう。自分で疑問がもてるようにならなければ、批判的思考で物事を見ることなどできない。

学校では、各教科で疑問をもたせる練習(訓練)をしなくてはならないのだと改めて感じている。



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