見出し画像

雪山グランプリ


私はスノボーが好きだ。
多分好きだ。

いつかの年の冬のこと。


11月から5月までの約半年を
雪が溶けるその日まで、
とある山小屋で過ごすことになった。


私はウィンタースポーツに全く興味がなかった。

単に山小屋に惹かれ、
入山したい気持ちはあったものの
夏山で過ごす程の知識もない故、
踏み出す勇気がなかった。

雪山なら夏山程の過酷さはないのかもしれないと、この度雪山への入山を決意した。

本当によく分からない発想ばかり思いつく。

しかし、こんな根拠のない発想は
しばしば私を思わぬ展開へと導いてくれる。


そこは山頂の宿泊施設。
冬はスキー客が訪れる場所になる。

初日はここのオーナーが雪上車で物資と一緒に私を運んでくれた。
この日は気圧の変化か、身体がだるすぎて寝ているだけになった。

今思うとあれが高山病の症状だったのかもしれない。
そういう細かい知識には身体も頭も果てしなく疎い。

2日目。
いよいよ仕事開始!

朝は雪かきから始まる。
朝食の準備と片付け、退出した部屋の清掃と宿泊の準備、
日中のランチ営業と片付け、
宿泊の夕食と明日の準備。

暇な時間など1分もない。

ここにはオーナーのご家族とスタッフが一丸となって働く。


程なくしてスタッフ1名を追加し、
山小屋スペシャリスト姉さん
激務を涼しい顔でこなすカメラ女子姉さん、
若干19歳の佐藤歩くん似スーパースノーボーダー兼秘密の恋に悩める男子

計4名のスタッフと共に過ごした。

ここのご家族の奥様がウルトラハイパーカッコいい。
店の激務に加え、
家事、子育て、経営、その全てをこなしていく。
朝から晩まで働いている。
休んでいる姿を見たことがない。

スタッフを気遣う暇など到底あるはずもないがいつも気にかけてくださる。
底なしに優しく頼もしい素敵な女性。

スノーモービルで通勤する姿は
ヤンキー気質な口調も相まって一瞬で虜になってしまう。

こんな女性になりたい。

夜な夜な作ってくれたレモン入りのホットワインの味を未だに忘れられないでいる。


そんな奥さんに、

oki、スノーボード貸してやるよ。
やってみろ

そう言われた。

この一言で私の雪山人生は大きく変わった。



ここは山頂だ。
勿論だがスーパーはない。

酒が飲みたくても、お菓子が食べたくても下山するまではお預けになる。

方法があるとすれば、
ご家族の下山についていくか
第二リフトの購買まで滑って行くか
この2つしかない。

偏食の私にはお菓子とお酒は必須アイテムだった。


お菓子とお酒のおつかい。

この目標を掲げ、
購買まで滑れるようになろうと決心した。




私の足がボードへいざなわれた。













1日目。

立てなかった。










運動音痴の私に、
佐藤歩似の19歳スノーボーダーが1から10までつきっきりで教えてくれた。

とてもスパルタだった。



立ってコケる練習を3日ほどした後、
利き足が逆だと気づいた。














10日目ごろ、おぼつかない木の葉滑りで5メートルほど進めるようになっていた。

お菓子を買いに行くだけのことに
この命をボードに預け、
過酷な山道を下らなければならない。

ガーナの板チョコに辿り着くまでの距離は
アフリカより遠く感じた。


来る日も来る日も来る日も
明けても暮れても
休憩の1時間と休日を使って練習する日々。

ある日のこと。

外は快晴だった。
社長はその山を見ながら

明日は天気が悪い。
準備しておけ

と言った。


?な表情の私に、

"山は教科書だ
何でも教えてくれる。
よく見ろ"

そう言った。



とは言われても、何もわからない。
その山がいつもより近く見えたのは確かだったが。







翌朝。

猛烈な吹雪となった。

前が見えない以前に扉が開かない。

下界の風とは比べ物にならない。

M-1で見たランジャタイのネタがリアルに感じられる。

風で一歩も外に出られない日は確かにある。


面白半分で外に出たら命取り。
身体の重心を全て前にかけて1歩出てみるものの
一瞬で首を持っていかれそうになる。

猫こそ飛んではこなかったが
次の日、木がこぞって倒れていた。


この日は店を閉店し、
みんなでトランプをした。

各々の恋愛話、人生録、夢を語り、笑いあった。

夕方は監督(19歳スノーボーダー)の指示の元、小屋の中でJボードに乗るという練習を夜までした。


次の日。
豪雪で玄関が埋まり、
扉が開けられなかった。

総出で雪かきをした。

この日は宿泊客もいなかったので
営業終了後、
スタッフとこっそりソリをしに行った。

フカフカのパウダースノーにテンションは上がる。

お尻に重心をかけなければ一瞬で全身が埋まってしまうほどだ。

最大斜度20度、700メートルほどのコースを
ボブスレーの如く猛スピードで滑り降りた。

ブレーキの方法が分からず、
一瞬で全員を見失った。

おーい

という声の方へ
必至に雪を掻き分け捜索した。

全員で救出し合う。

無事だった瞬間、
笑いで力尽きたが、
後数センチズレていたら木に激突していたと思う。
危うく全員死ぬところだった。


あれがバレていたら全員クビどころか大事件だ。


乗り物史上一怖かった。

ソリF-1順位は4位に終わった。
もうこの競争は二度としないと誓う。



次の日、お腹と腿の筋肉痛で立っていられなかった。



到底人には言えない笑い程、
人様から否を浴びる笑い程、

面白いものはないのだと

思った。










こうしてあっという間に年が明け、
バタバタと楽しい日々が160日ほど過ぎた頃。


私は念願の購買まで楽に滑れるようになっていた。

おつかいだってできる。
目標達成だ!

これ程嬉しいことはない。

ただ、一番調子に乗ってしまう時期だ。

とはいえ、膝や腿はあざだらけ。
ふかふかの雪はされど
どこを打ってもアスファルトに投げ落とされたように痛い。


この頃、打身が酷く
10秒も座っていられないほどお尻が痛くなっていた。


私は案の定、
途中で手首をつき、
真っ白な大地で当分気を失った。

山小屋に戻ってから、吐き気と熱にうなされ、
折れたのを悟った。


テーピングをぐるぐるにして仕事を続けた。



次は首をやるぞと言われた。


この頃からヘルメットの着用を必ずするようにした。











全身痛みでぼろぼろではあったがそれ以上に楽しかった。

雪よどうか止まないでほしい
そう願うばかりであった。


とうとう5月になった。
草木が顔を出し始め、春スキーの終盤になろうとしていた。

みんなで雪上りんごを食べた。

実りの秋から雪に埋もれ続けたりんごは
とても神秘的な味がした。



広大な雪の中での半年間が終わる。


春の夕暮れ、目を閉じる。

練習の日々が
笑い合った日々が
激務の日々が
壮大な景色たちが
走馬灯のように蘇る。

まるで大自然の中心にいるようだ。


大地をうねらす程の荒れ狂う吹雪は山を一瞬でホワイトアウトさせ、
世界を消してしまう。

自然に恐れ慄く日もあれば、

マイナス20度の凛とした風とそれに動じない真っ白な山々を見ていると
全く時間が進んでいないように思える。
全てが自分の味方であるかのように感じる。

凄まじく、

果てしなく

美しかった。





贅沢な授業だった。













こうして180日の雪山生活はGWをもって終了した。

ありがとう。

一生忘れません。





下山後、すぐ整形外科に行った。

お察しの通り、
手首と尾骨骨折の診断を受けた。

事後が数ヶ月過ぎていることから処置のしようがないと言われ、
それから1年間は手首を労わり続け、
約2年半、1時間以上座っていられなくなる後遺症と共に生きることになった。


最高の雪景色と引き換えにするものも広大にデカかった。

oki

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?