ニュースバリューのない"日常"の風景を
在職半年の短い報道カメラマン時代、先輩から何度も受けていたダメ出しがあった。
「お前の映像は引きすぎていて、なにが撮りたいのかわからない。」
仕事を辞めて趣味で写真を撮るようになった今も、そんなダメ出しが脳裏をよぎる場面がよくある。
今住み込んでいる中山間地域で、カメラを持って散歩していた時のことだ。
元々街の中でスナップを撮ろうと買った50mmの単焦点レンズは、その狭めの視野がごちゃごちゃした街中を切り取るのにちょうどいいと感じていた。
だが、一面に広がる田園風景の中では別だった。
広大な自然の中は「切り取ら」なければいけないほど物に溢れていないし、あたり一面の風景を写すのには、50mmでは画角が狭くて中途半端になる。
ものの少ない環境のなかで、自分で積極的に「主役」を見つける必要がある。
なんとか見つけた、風化した標識や落ちている空き缶を主役にシャッターを切ってみるが、どれも同じような写真ばかりになる。
これだけ周りに自然が広がっているというのに、人工物ばかりが目に留まる。
都会で育った影響なのか、それとも単に私の感性の問題なのか、自然の中に主役を見出すことができない。
これまで、季節の草花や作物、雲の形を見つめたことがどれほどあっただろう。
なにも特別ではない、日常の些細な風景にスポットライトを当てられる感性がほしい。
『コロナワクチン接種はじまる』
『殺人事件現場で初動捜査が開始』
ニュース取材の場面では、映像の主役は「出来事の様子」であり、明確化されていた。
それでも「何を撮っているかわからない」と言われていた自分が、日常に寄り添うことができるようになれるのだろうか。
これからも、カメラをぶら下げて散歩に出かけたい。
ニュースバリューのない"日常"の美しさを感じながら。
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