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【小説】2020年12月24日 クリスマスイブ

 とても静かな12月だ。例年のような街のきらめきはどこに消えたのか。赤や緑、そして明るく輝く照明も世界のどこかに閉じ込められてしまったかのようだった。

 「今年はさすがにやめとくか」

 やっとつけ始めた暖房の風をわずかに浴びながら、狭いワンルームのソファの上で彼は言った。2人にとってのクリスマスをどうやって過ごすか話し合った結果、今年は特に外出もせず家で過ごすことになった。無理に外で過ごす必要もない。去年までとは違う。今年は特別だった。

 髪に触れる温かい空気も、去年までとは違うもののように感じる。目の前で流れるバラエティ番組は、見えている画面は明るいのに、耳の中に入ってくる音声はどことなく静かに感じた。

 クリスマスというイベントを存分に楽しんだ記憶はあまり無い。社会人になってから、ずっとずっと仕事だった。それに彼は文句を言ったことはない。私たちのクリスマスはいつも少し早めか、少し遅めだった。今年は遅めの方。いつもであれば日にちがズレる分、予約の取りやすいレストランも今回はおあずけ。特別感も少なめのまま、結局家で過ごすことになった。

 
 夕方、駅ビルの入口にあるお店から改札口を眺めていた。今年はここから見る景色は空白が多かった。
 クリスマスイブの今日もそうだ。パーティやレストランで使われるブーケのオーダーに追われていてもおかしくないはずなのに。無計画なサラリーマンが慌ててプレゼントを買いに来てもおかしくないはずなのに。
 静かに人が並び、その列が消えると、また静かに列ができる。決して注文が無いわけではないけれど、クリスマスらしくない穏やかな時間が過ぎていく。

 「店長、やっぱり今年は落ち着いてますね」

 副店長のコウスケが声をかけてきた。こうして雑談をする余裕さえできてしまうくらい店は静かだった。

 「いつもだったらみんな紙袋持ってたり、ミニスカ履いてる女の子がわんさか待ち合わせしてるのに。今年はまだ2人しか見てませんよ」
 「どこ見てるのよ、あほ」

 軽そうに見えてしっかり働く副店長だ。ふざけて言うが、通行人や客の特徴をよく観察している。女性の多い花屋でも嫌われずにやっていけているのは、その観察力で身内の髪型やネイルが変わるとすぐに気付けるからだろう。

 「まぁでも、あんたの言う通りだわ」

 店の向かいを見ながら、ついため息が出てしまった。クリスマスの特別販売スペース。ケーキのショーケースやワインを並べたワゴンの姿が今日ははっきりと見える。行列ができていてもおかしく無い時間なのに、不定期にできる人混みは、少しするとすぐに無くなってしまう。
 臨時アルバイトであろうサンタ服を着た女の子が、寒そうに肩をすくめている。人が少なければ呼び込みをするはずなのに、今年は大声だって出すことができない。マスクの下から生まれる小さな声がわずかに聞こえる。応急処置のように付けられたビニールシートがとても寂しげだった。

 「どうなりますかね?早上がりとか考えた方が良いかも」

 店には他にバイトの子が2人。今は花の補充や接客をしているけれど、私たち2人がこうして話せる余裕があるのだ。必要以上に残しても申し訳ない。一応はクリスマスだし。

 「一応考えておこっか。あんたは予定無いの?」
 「おれ仕事好きなんでねー」
 「別れたの?フラれた?」
 「イベントの日に一緒に過ごせない人は寂しいから嫌なんだってー」

 世の中、相手を理解せずに自分の理想を押し付ける人のなんと多いことか。そんな子とは別れて正解だろう。良い男だと思うけど、とにかくクジ運が悪い。
 励ましの意味を込めて、夜の休憩終わりに栄養ドリンクを差し出してやった。


 「あー、疲れたー。」

 閉店後の薄暗い店内で、カウンターに寄りかかりながらコウスケは項垂れた。余計な心配は必要なかった。結局店はシフト通り、早上がりの人員もおらず、あの会話から1時間後には多くの人が花を手に列を作っていた。

 向かいのケーキ売場には行列ができた。少しずつ間隔を空けて並んだおかげで、今までよりも長い列が広がっていた。静かに過ごしていたサンタ服の女の子たちも大忙しだ。急にやってきたピークにあたふたしながらも、その顔はマスクで半分隠れているにも関わらず笑みが溢れていた。

 「なんだかんだ、みんなクリスマスしたかったんですね」

  クリスマスは決してどこかに隠されていたわけではなかった。みんな、この時間を待っていた。今までとは違う形でも、家族と、恋人と過ごせる時間を大切にしようと思っていた。

 いくつ花束を作っただろう。何本のリボンを結んだだろう。レジで調べれば分かるけれど、そういうことじゃない。私たちにとってはたくさんの中の一つかもしれないけれど、買ってくれた人にとっては大切なプレゼントだ。それだけ、誰かの想いを準備できたことが、支えられたことが少し嬉しかった。

 「やっぱりクリスマスだったね」
 「俺たち、立派なサンタですよ。トナカイかな?」

 プレゼントをもらう側でも贈る側でもない。大人になるにつれ、気付けばプレゼントを用意する立場になっていた。誰かの大切な時間のために働いている。列に並び足早に帰っていったサラリーマンは、今頃ブーケを渡しているのだろうか。
 その姿を想像すると、嬉しくて羨ましくて、だけどちょっとだけ寂しかった。

 コウスケや店のメンバーと別れ、スマホを見ると、彼からメッセージが届いていた。

 "南口のカフェにいる。終わったら教えてー"

 届いたのは1時間前。すっかり返事が遅くなってしまった。文字を打つより前に電話をかけていた。

 「ごめん、今終わった。どうしたの?」
 「一応イブだからさ。会えるなら会っておきたいと思って。今からそっちいく」

 電話はそれだけ。駅の出口で待っているとすぐに彼がやってきた。

 「お疲れ。遅かったね」
 「結構最後の方混んじゃって。すごい待ったよね?」
 「いいよ、俺が勝手に来たんだし。遅く着いてもう帰ってた方がショックだから」

 お疲れさま。

 そう言いながら、彼が頭を軽く撫でてくれた。その大きな手は、そのまま私の小さな手を握る。ずっと花と水に触れていた手はカサカサだ。恥ずかしい。

 「ほとんど外にいたもんな。あったかいもの食べよ」

 彼が冷たい手を少しだけ強く握った。私もそれに応える。大きくてゴツゴツして温かかくて。とても優しかった。

 「なに食べたい?頑張った人が選んでよ」
 「えー。あんまり仕事終わってからこの辺では食べないしなあ」
 「選んでとは言ったけど、どこも時短営業みたいでさ」

 いつもであれば、この時間にもっと賑わっていてもおかしくないけれど、通り沿いに構える店の照明はすでに暗くなっているところがほとんどだった。人影こそあるが、すでに盛り上がり、これからは駅に向かっていくようだった。その流れに逆らいながら、彼は私の手を引き進んでいく。心当たりがあるのだと思う。職場近くとはいえ、夜の街を歩くのは新鮮だった。

 「調べたらここくらいしかないんだけど、いっか?」

 笑いながら、彼が尋ねた。
 目の前には真っ赤な壁と緑の看板。クリスマスらしい色合いに見えなくもないが、いかにも街の中華料理屋という風貌の店だった。

 悪いね。
 そんな顔で伺ってくる彼の顔がとても愛おしかった。きっと洒落たお店もたくさん調べてくれたのだろう。だけど、そんなお店は今日という日に予約なしではきっと入れない。ここにたどり着くまでにこんな明るい照明がついたお店は無かった。どこか食事ができる場所を探してくれたんだと思う。
 握っていた手に力を込め、私は彼に伝えた。

 「仕方ないなー。はらぺこ。なに食べようかな」
 「チキンくらい無いかな?」

 そう言いながら、2人で笑いながらお店へ入った。

 ラーチャンセットに餃子を1皿。せめてものチキンはバンバンジーだった。
シャンパンなんてあるはずもなく、ビールで乾杯をした。間接照明どころか眩しいくらいの白熱灯が私たちを照らしていた。お洒落なジャズなんて流れているわけがなく、BGMは壁に付けられたテレビの音声だった。

 でも、それだけでとっても楽しかった。幸せなクリスマスだ。

 お腹いっぱい。もう少しお店は開いているみたいだけど、ゆっくり帰ろうかと思っていた時だ。

 「こんなところで渡すのもアレなんだけどさ」

 彼が脇においたカバンを漁る。中から出てきたのは小さな紙袋だった。

 「当日なにも無いのも寂しいかと思って。プレゼント」

 紙袋が私に差し出される。驚きながらそれを受け取ると、中には小さくて白い箱が入っていた。突然のことに、どうしたら良いか分からない。

 「え、いいの?」
 「もちろん。趣味じゃなかったらごめんね」

 光沢のある紙袋の中から箱を取り出す。表面には見たことのあるブランド名が記されていた。なかなか男性が立ち寄る店ではない。きっと勇気を出して用意してくれたんだと思う。もう、それだけで嬉しかった。

 ゆっくりと箱を開いた。小さな箱の中の真ん中に、より小さなハートが煌めいていた。ハートのネックレスだ。主張し過ぎない華奢なデザインがとても可愛い。

 「好みじゃなかったら、その時は考えますので」

 照れながら彼が呟く。
 好みがどうとか、センスがどうとか。そんなことどうでも良かった。彼が一生懸命お店に寄ってくれて、きっと照れながら相談して、選んでくれた。それだけでとても大切で愛おしかった。

 「嬉しいよ。ありがとう。大事にする」

 私は早速、ネックレスを首にかけた。黒いタートルネックの中に小さなハートが浮かび上がる。

 「うん。すごく可愛いと思う」

 胸元のハートから自分の心を覗かれてしまうようでくすぐったい。彼の目を見ると、とても嬉しそうだった。なんだか恥ずかしくてその場に居られなくなり、私は自然とコートに袖を通し始めていた。


 店を出て、彼と手を繋ぐと、自分の掌がとても温かくなっていることに気付いた。それは食事のおかげなのか、それともプレゼントのおかげなのか。どちらにしても、彼と過ごした時間が温めてくれた。

 思い切り手を握り、彼の方を向いた。

 「メリークリスマスだね」

 マスク越しに伝えたその言葉を、私はこの先ずっと忘れないだろう。

 クリスマスはいつだって、どんな形だって、特別で必ずやってくる。



終わり

いただいたサポートは取材や今後の作品のために使いたいと思います。あと、フラペチーノが飲みたいです。