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最後の恋

※フィクション


きっかけは先週の昼下がり、チャイムを鳴らした宅急便だった。

小さめのダンボール、やけに軽いのですぐに開けてみる。中には折りたたまれた白い紙。開いて、僕はまたすぐに閉じた。目の前に広がる自分の部屋のあちらこちらにもう居ないはずの君の残像が、まるで昔のホームビデオを再生したかのように蘇ってくる。

「私の荷物が残っていたら送ってください。」

宛名も贈名もない紙切れ、けれどもこの柔らかな丸っこい字は昔も今も変わらず君だと分かる。僕は部屋の真ん中で立ち竦んでしまった、何を今更。そんな言葉は僕の口からは出なかった。ただただ空っぽな笑いがこみ上げるだけだ。

12年だ。君と出会って別れて今に至るまでそのくらいの時間が流れた。

僕達に、結婚という未来は無かった。だから別れた。それだけだった。だけど僕達の間に確かに存在していた愛情は今も冷凍保存されているように、記憶から君の存在を呼び起こすたび解凍を始めてしまう。僕はそれを必死に止める日々を送っていたんだ。

人が生まれて大人になってしまうほどの年の差は、若くて未来のある君と老いていくだけの僕にはあまりに深い溝だった。それでも僕は君が好きだった。君を繋ぎ止めることが出来たならいくらだってお金を出しただろう、身を削って働けただろう、そんなことを今は考える。

けれど、一緒に過ごし笑いあったあの日々が今どきの若い子達が言うパパ活や援交などという言葉で片付けられてしまうのは心の底から嫌だと思う。傍から見ればそう見えるかもしれない関係も、僕らの間には確かに愛が存在していたと、君はどんな気持ちでいたのかもう聞く術はないけれど、僕は思ってる。

仕事先の若い女の子が僕によく彼氏の話をしてくれるんだ。この間はどこどこに行って、あそこにも行きたいな、次の記念日にね、このプレゼントは喜んでくれるかなぁ、ねぇどう思いますか、って。僕はそれが可愛くて仕方がなくていつも聞いてあげるけどその子はいつも彼氏と喧嘩ばっかりしててね、それでも次の日にはケロッとしてたりして。「仲直りしたんですー!」なんて。またその笑顔に毒気が消されてしまう。

底抜けに明るくて人の話を聞いてるようで聞いてなくて、よく笑ってよく喋って、なんだか君を思い出すんだ。箱根や熱海、君と行ったのはもう何年も昔のことだけど、あぁ楽しかったな、もう行くことは無いかもしれないけれど、いい思い出だったなとそう思えたんだ。

クローゼットの奥にきちんとしまい込んでいた君の服を取り出す。もうずっと昔のものなのに今でもタンポポの初芽のように柔らかな薄緑のカーディガン、そっと触れるといつか2人で海を見に行ったことを思い出す。

あの頃、僕は君にしてやれることなんて何一つ無いと思っていた。僕は君が好きで一緒にいたいと思うけど、君が若さという貴重な時間を僕に浪費するのが可哀想に思えた。波と同じだ、沖に流されれば流されるほどもう岸には戻れなくなる。君を思えば思うほど君と別れる以外の手段はなくなっていった。

また失恋から立ち直れるほど僕には体力は残っていないから。恥ずかしいけど4年は引きずったんだ、思い出させないで欲しいのが正直なところだ。黙々とダンボールに君の服を詰めていく。これで、クローゼットも場所が増えた。…これで、心の隙間も増えた。

なんだか緊張しながらショートメールに「荷物、2.3日後に届くと思う」と送ると、ケータイはすぐに無機質な「ありがとうございます」の文字をのこのこ連れて帰ってきた。

「元気にしてる?ちゃんとご飯食べてる?今はどうしてる?辛い思いはしてないか?」聞きたいことは山ほどあるけど、息をついてケータイを閉じた。

君ももうあの頃ほど若くない年になって、もう結婚して子供もいるのかもしれない、幸せだと思える瞬間が1日に1回でもあるならそれでいい。僕はそれ以上に望むことは無い。

未来ある君に、老いていく僕がしてあげられる唯一のことは忘れてあげることだから。


少しの衣服と僕の想い出が入ったダンボールを持ってコンビニに向かう。この土地は君との思い出があまりにも多すぎる。荷物を送る手続きを済ませ外に出ると君と別れた日のような夏の夕焼けが広がっていて、柄にもなく少し泣けてきそうだった。

さようなら、僕の最後の恋。


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