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臨床人類学

アーサークライマン著の臨床人類学が復刊したみたいです。自分はこの本を読むのは初めてで、いろんな発見がありました。自分なりに大事な部分を抜粋して解釈も書き込んでみました。癒しの過程については解釈が難しく、抜粋しかできませんでしたが・・・

特に印象的だったのは
・病気は治療者が治すのでは無く、ヘルスケアシステムが治す。
・ヘルスケアシステムとは文化システムである。
・医者には医者の、病者には病者の臨床リアリティがある。医者は自分の臨床リアリティにとらわれている。
・説明モデル(≒解釈モデル)は対話で書き変わっていく。
・病いと疾病を両方とも治療することが必要。

以下、詳細。

<”病い”>
・知覚された疾病の心理社会的な体験のされ方や意味付け。
1.個人の生理的状態や心理状態(もしくはその両方)の一時的機能不全(すなわち疾病による) 二時的な、個人的・社会的反応が含まれる。  
2.疾病とそれに付随する現象(症状や役割遂行の減退など)に対する注意、知覚、感情的反応、認知、評価のプロセスも含む。  
3.家族や社会的ネットワーク内部でのコミュニケーションや相互作用も含まれる

以上をまとめると・・・ ”病い”とは 「疾病を行動や体験へと具体化すること」→「疾病に対する反応」 ”病い”を作り上げているのは「疾病に対する個人的・社会的・文化的な反応」
”病い”をつくりあげることで、疾病を意味のあるものにして説明を与えようとする。(アドラー心理学でいう目的論に近い?)そうすること事態が”病い”をケアすることの一部となる。

病いを探るのにやはり受療行動(なぜ病院にきたのか)を分析する必要がある。相手のFeeling、Idea、Function、Expectationを聞くのは前提。それに加えて、社会的・文化的な役割に対する障害(熱がでた小児を連れてくるお母さん→大したことはないが医者に見せないと保育園には連れていけない)
Ideaが解釈モデル(≒説明モデル)。この説明モデルは患者も医療者も持っている。対話によってこの説明モデルを書き換えるようなことがおこっている。p127 ※患者中心の医療を行うには「医師も自分の説明モデルを書き換えて」妥協点を見出すことが重要
この点に関しては治療者=病者間コミュニケーションが治療的に重要。p288
臨床的な関係の中でコミュニケーションが果たす役割は、情報を伝達し、クライエントの説明モデルを確証したり変えさせたりし、実際的な助言をし、クライエントを説得してある行動をとらせ、心理的な援助をあたえ、伝統に根ざした文化的価値を継承してその価値を再確認させ、社会的緊張を減らしたり解き放したりする手助けをし、その他さまざまな治療的課題を遂行することである。

土着(シャーマンやタンキー)のコミュニケーションと西洋医学のコミュニケーションの大きな違いは、クライエントの説明モデルへの感受性と心理社会的に意味のある説明の有無。西洋医学のコミュニケーションではクライエントへの説明モデルへの感受性が低く(というかほぼ無く)、心理社会的に意味のある説明なんかしない(生物科学的な説明しかしない)。

<治療に対する認識>
中国社会では会話療法に対しては全く否定的な評価しか広まっていない。(おそらく日本においても同様の考えを持つ人はいる)そのため、どのような治療法であれ効果を持つためには病者に話しかけるだけではダメで、そこに有効な成分か積極的な介入(治療儀礼)が含まれていなければならない。p106 →風邪で来院した患者で、点滴が有効だという説明モデルが書き換えられない患者は(エビデンスが乏しくても)点滴してあげた方がよい。疾病は自然に治癒(treat)するだろうが、”病い”は治療(heal)されない。(ただ、患者に害になるような介入はしちゃダメ)

<ヘルスケアシステム>
ヘルスケアシステム→文化システムである。個人の行動や経験に根ざしていると同時に、文化的信念や社会的な関係・役割に根ざしている。各セクターごとに臨床リアリティが異なる。 ※決して医療だけのことをヘルスケアシステムと言っているのではない!!医療は文化システムの一部にしかすぎない。病気を治すのは治療者ではなく、ヘルスケアシステム。
ヘルスケアシステムは3つのセクター(民間セクター、専門職セクター、民族セクター)から構成されている。

・民間セクターは素人の民間文化の場。ここで病気エピソードの70-90%が処理される。また”病い”このセクターでの一番の関心は”健康”や”健康の維持”。
・専門職セクターは組織された治療専門職からなる(≒科学的医療の場)。医療に関する問題では生物医学的側面こそ”リアル”である。そのため、他の治療者(医療者以外)が抱く臨床リアリティには無頓着(グルコサミンを飲むと膝がよくなる的な話を医療をかじった人は無頓着・意味がない一周するみたいなやつだな)。これは医者が素人の一般大衆の見解に対して無頓着であるから生じている。
・民俗セクターは徐々に地域のヘルスケアシステムの他の2つのセクターに融合していく。民族医療は多様な要素の混合物。(血圧高めの方に胡麻麦茶的な感じかな?あとは普通に肩が重いし調子が悪くなってきたからお祓いに行く的なやつ?)
これら3つは互いに影響をしあっている。ヘルスケアシステムという考え方によって、自分のものとは異なる治療法をもつ、全く別の臨床リアリティがあり、病気の意味論的ネットワークにもそれぞれ独自なものがあることを理解できるようになる。

このヘルスケアシステムという概念を理解できると、文化システムがどのように病気を形作っているか理解することができる。(1)我々が疾病にラベルを貼り説明を加える際に一連のカテゴリーを用いること、(2)しかもそのカテゴリーが症状の近くや体験の仕方に影響を与えること、この二つの要因によって病気が文化的に構成される。

<治療>
病いと疾病は理想的にはともに治療されるべき。しかし現代の医療は疾病を治療(treat)するのに躍起になっていて、病いを治療(heal)することには関心がない。そのため、現代の科学的医学を担った治療者でも、病気体験・病気行動を治療することがほとんどできないか、全くできない。そして、生物学的な疾病に関心をむけすぎる結果、心理社会的な病いを癒す伝統的・文化的な方法が力を失っていく。
発展途上国の民族セクターにおいて、実質的には全ての社会の民間セクター領域において、病いの体験は常に治療されている。しかし、疾病が治療されるのは偶然程度にすぎない。

<西洋医学に対する警鐘>
西洋医学の臨床リアリティは、民間の病気間・治療間と根本的なところで食い違っている。その特徴は、病いよりも疾病、コミュニケーションよりも技術的介入、効果的な患者のケアよりも経済的報酬に関心を持っていること。
治療者の関心の対象は、疾病にあって病にはない。一方、患者の関心の対象は疾病よりも病にある
現代の医療専門職は、”医療の分野”の支配権を要求し、国家はそれを認めている。しかし、実践面での専門医療が説明できるのは、医療の領域に生じていることのうちごく一部にすぎない。生物医学的な還元主義と技術への”固着”のある限りヘルスケアのほとんどの問題はうまく理解できないし、またうまく処理することもできない。

<癒し>
病者にとっては重要なのは良くなることであって、何が効いて良くなったのかを見つけることではない。役立ちそうな治療ならなんでも試すべきなのである。
病者の視点からは、”疾病”と”病い”を普通は区別しない。病者の関心は、症状が軽くなるかどうかにあることが多く、病いのストレスが作り出す心理社会学的な問題の治療にも関心を寄せる。さらに大方の病者は、自分の健康問題について個人的にも社会的にも納得のいく説明をしてほしいという欲求があり、病いの説明を治療者に求めるのが普通である。
西洋医学の場合は改善について明白な臨床上のサインがみられなくても、医者は血液検査結果や生理学検査の変化を元にして、治癒した、あるいは改善したと判断する。患者にとってはこのような治療者の評価の食い違いは重要な問題をもたらし、そのために患者は治療から離れたり、治療に従わなくなったりする。しかし、多くの場合、患者は自分と食い違う医者の評価を、医学の神秘の一つとして、すなわち問題とその処置についての、医療専門家の特殊な理解の仕方のひとつとして、受け入れているように思われる。
ヘルスケアシステムは、病いの体験にラベルを貼って整理し、意味を付与し、病いを形成している個人・家族・社会のいろいろな問題を処理することによって、病いに対する心理社会学的・文化的な治療をもたらす。こうしてヘルスケアシステムは、たとえ疾病は効果的に”治療”できなくても、病いを”癒す”のである。
病者たちは、その臨床リアリティのもとで、病い体験に対する個人的・社会的fな意味の付与と、病い体験を構成している個人的・社会的問題の臨床的解決とを通して、治療されるのである。
土着の医療者は、病いに対して文化的に是認された治療を与えうる限り、間違いなく癒すことができる。
現代の専門的な医療者は、もっぱら”疾病”の認識と治療に関心をよせるよう訓練され、その結果”病い”を一貫して無視するようになっている。彼らが教えられているのは、治療であってケアではない。
体験こそ癒しの主要な側面なのである。
病気とその治療に対して個人的・社会的な意味に満ちた説明モデルを提供することは、少なくとも部分的には効果がある。”病い”として生じる不安や情動変調を低減するのに、こうした説明モデルが役立つ。
不安や情動変調を低減させることが、多くの生理学的、精神性理学的な問題の成功させる重要な決定因子になっている。


医者が文化について十分な知識を身につけていれば、心理社会学的な治療と科学技術的な治療を統合することができる!!


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