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岩波新書の旅6 「幼児期〜子どもは世界をどうつかむか〜」 岡本夏木著(949)

2歳は今しかない

毎日の変化が目まぐるしい。
昨日できなかったことが、今日はできるようになる。
子どもの成長をうれしく思う。

反面、私は何を考え、何をしたらいいのか。
波に流され、どこかにたどり着くのを待っているだけの
乗客になっていないかと不安になる。

著書は、
「一人で早くできること」に警笛を鳴らします。
え?だめなの?
能力主義になりすぎた現代に、抜け落ちてしまう本質を
見直す一冊となる。

ちなみに、子どもが時間をかけている時こそ、
自我が機能している時。
つまり、遅いこと、時間がかかること、悩むこと、捗らないこと
をしっかり「待つ」ことの大切さ知るべし。
ついつい、待てない自分に反省。

しつけ

子育てにおいて「しつけ」は大きなテーマだ。
「しつけ」の語源は、着物を縫うときに形を整えるために仮縫いしておく
ことを「しつけ」と呼ぶ。
ポイントは、仮縫いなので、糸は外されるということ。
トレーニングや教え込むという行為は、縫い込まれる行為には違いないが、
糸は外されていない。この糸を外すとはどうういことだろう?

「しつけ」によって社会のルールを従えるようになる。
親から褒められること以上に、子どもは自分自身に対して喜びを感じる。
「自尊心」と「誇り」を生む。
しつけられて、行動するのではなく、
そういう自分でありたいから行動する。
糸が外れる瞬間がやってくる。

人間と社会

生きるということは、
私(自己実現)という人間が、社会(他者)との中でどうあるか。
しつけとは、社会(どうあるべきか・どうすべきか)を教えること。
私がしたいことと反対である場合も多々ある。
苦しみ、自分で考える。
社会に従うことに意味があるのではなく、苦しみ・悩むことに意味がある。
それが、社会に生きることを学ぶことになるから。

大好きな人

子どもは愛されるために、自分のしたいことを捨て、
親がして欲しいことを自己選択と決定を迫られる。
ここで大事なことは、
「しつけ」は大好きな人からほどこされること。
そりゃそうだ。
自分の意思を捨ててまで、愛されたいと思う相手でなければ、
選択・決定はできない。

矛盾に葛藤

子どもから見れば、大好きな人(快を与えてくれる人)が、
「しつけ」という不快を与える人になる。
子どもが初めて経験する大きな困難だと言います。
「しつけ」の意味は、
何かをできるようにすることではなく、この愛のやりとり。
「愛されること」の喜びだけではなく、
自分に不快を与えてくる大好きな人を
「愛することの苦しみ」を知ることが大きな成長となる。

これは親も同時に苦しみを感じながら共に成長していくことになる。
受け止めるしかない。
優しいばかりでは生きていけないし、
だからこそ、人は愛を知る。
愛情の量を語られることは多いが、(それも大事)
それだけではない。

親も人間

正しさを教えるように見える「しつけ」。
しつけを施す親は、いつも倫理的で正しい行いをする人。
そんなわけにもいかない。
いかなくていいと、著者はいう。
人間とは、欠点や弱さを持って生きるもの。
完璧な親の模倣をするのではなく、
子どももまた、自分の欠点や弱さを感じながら、
それでも正しく生きようとすることに意味がある。
肩の力を抜いて、教育しよう!などと思うなかれ。

しつけと遊び

「しつけ」が社会から子どもへのベクトル「他者の関与」だとすると
「遊び」は、子どもから社会へのベクトル「自己実現」である。
つまり、相反する概念であり、どちらも必要でバランスが大事。

遊びと身体

大声を出したり、暴れたり、
ちょっとやめて!!と親が声をあげそうな場面がある。
ルールを破りたいからやっているのではなく、
身体を使って、実感を得ている。

自然になる

寒い、暑いなどをもっと感じよ。
汗を流す。
冷たい手に息を吹きかけ、温める。
自然と格闘することが大切。
自分の身体に気付き、自己への気づき、
外なる自然と内なる自然を感じ、
自然の一部であることを感じるきっかけとなる。

遊びはすごい

ウソ泣きや寝たフリは、演じている自分と見られている自分の
自他の二重化を始めている。

ごっこ遊びは自らフィクション(ストーリー)を紡ぎ出すようになる。

絵本を読む、音楽を聴く、
情報の接種より身体で受け止めていく。踊り出しちゃう。

ゲームのルールは小学生にならないと理解は進まないようだが、
ルール(法則)にはプレイヤーに平等に公平であること、
公平であることが正義であることなどを感じ取る。
喧嘩することはある。
でも、根底に流れているのは、みんな仲良くするのだという
遊びの中で獲得する「倫理」。
この倫理の欠乏を著者は恐れている。

そして、表現へ

遊びを発展していくと、自己表現。
内なるものを外へ出す。
それは自分だけの話の部分と、社会との関わりと
これまでと構造は一緒。
表現できる場(大好きな人に対して表現する)があること。

言葉が持つ力

ツール、媒介する手段として言葉が機能する。
思考するため、自己認識するために。
まず、1対1となるコミュニケーションの言葉が大切。
正しい言葉やふさわしい言葉より以前に、
内なる自分から発せられる言葉をたくさん喋ること。
つまり、たくさん、話しましょ。

自分は他人がいて

自己を認識するのは、他者がいてのこと。
「●●君がね」と自らを名乗る。
●●君、一人称の世界にしかいない。
「私、僕」などが主語になった時、
私は、●●君である場合もあれば、
私は、✖️✖️さんである場合もある。

主体は●●君以外にいることに気付く。
✖️✖️さんは他者であり、✖️✖️さんにも気持ちがある。
✖️✖️さんが思うことと、●●君が思うことは違う。

言葉あるから意味がある

シャッターが閉まっていた。
は、事実ではあるが、
ここから意味が付加されていく。
今日はお休みなのだ。
お引越ししたのだ。
新しいお店ができるのかも。
店長は病気したのかな。

ストーリー(想像)が生まれ、感情が乗っかり、
「シャッターが閉まっていた」に意味が加わる。
解釈と呼んでも良い。

不可欠なもの

言葉はツール。相手がいて成立することが多い。
誠実な相手が必要だということ。
それは親(私)なのだと思う。
テレビがゲーム、YouTubeを積極的に見せない。
これ自体が悪いとは思わないが、
私とのコミュニケーションを阻害することが嫌だから。

子どもと私

この本は急いで読んだ。
いや、子供についての本は、あれもこれも、今読みたい。
2歳の息子は、来年には3歳の息子になってしまうから。
毎日成長する息子を見ていると、親はどこまでついていけるのか、
書籍で確かめ、私がどう変われるのか。
私は親になっていく。人になっていく。





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