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#1:1000日後にオーストラリアに移住する

先日、娘の高校説明会に参加してきました。自分で選択できる力がついたなぁと感じました。「どの高校に行ったらいいんだろう」というので、「ママはどの選択しても絶対に正解だよ」と伝えました。
よく聞く「今の自分は過去の自分の選択の結果」という言葉。本当にそうだなと思う。
今まで自分のどんな選択にも後悔がないといったら嘘になるけど、今の自分に満足しているし、これからの自分が見る景色がどんなものになるか楽しみだ。
1年後の自分は「今日、これができた!」を365回積み重ねた結果だ。いつ死んじゃうかわからないから、小さい頃から夢見てきた海外で生活するを本気で考えようと思う。
「1000日後、2年ほどオーストラリアで生活してみたい。」と夫に伝えた。幸いにも夫は、賛成してくれた。
1000日後とリミットを決めた。
でないと、今まで通り先延ばしにしてしまうと思ったからだ。
「まだ子どもが小さいし」とか「子どもが小学校の友達と離れたくないっていうだろうし」とか「救急車を呼ぶような事態になったら困りそう」「日本の法律と違うことで困りそう」とかどんどん行かない理由を考えて「行かない方が安全」「行かない選択をした方が子どもが幸せ」と気持ちをぎゅうぎゅうと圧縮パックに入れてぺっちゃんこにして、今は考えない用の棚にしまい込む。これまでずっとその繰り返しだ。
母親として、この選択は正解なのか今はわからない。いつか正解になってほしい。
でも自分の子どもには「どの選択も正解」だと伝えていきたいし、人生を謳歌して欲しい。誰に何を言われようと自分の人生を責任もってまっとうできるのは自分以外いないんだ。
間違った選択だったのかと気に病む時もあるかもしれない。だけど、そんな時は自分の胸に手を当ててみて欲しい。
明日もし「今日から5年後に死にます」と言われたらどんな5年を過ごしたいだろうか考えてみてほしいと思う。結局さ、自分の大切なものは他人の評価じゃない、自分自身なんだ。
きっとどの選択にも失敗と正解があったんだと思う。結果論としてその選択の正解の比率が失敗より大きいと思えているものは「正解」になっている気がする。
そして、「失敗」と捉えている選択には、なかなか払拭できない「後悔」の感情が小さくならないしこりがあるように思う。だから何十年経っても、あーあ、あの選択は失敗だったなぁと思い返してしまうのだ。あの選択ありきの私の今が幸せなんだからいっかと結局思うのだけど。
でもまあ、そんなこんなで、やってみたいと思う。
人生一度きり、やってみなくちゃわからない!
明日は、ビザ取得とかインターナショナルスクール(小学校)とか就職事情とか調べてみようと思います。あと2年生活するのに大体必要な金額も調べておかなくちゃ。

明日、調べること

1、ビザについて
2、インターナショナルスクール(小学校)の場所と費用とか
3、就職する場合どうするのか
4、2年生活するのに必要な金額

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