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ももくり三年かき八年

私はよく自分の人生を思い返したり、見つめ直したりしますが、この言葉はその度に必ず頭によぎります。

20代30代の頃の私は
とにかく結果を求めてきました。

特に20代の頃は
実を得る為なら、肥料も水も剪定もバンバンやって
出来る限り早く得ようとしていました。

学校もまともに行っていない私は
人の、周りのリズムに合わせるのが嫌い?苦手で

時間の使い方、進め方はとにかく自分しだいだと
何の迷いも不安も感じる事なく生きていました。


しかし30代に入ると
何かと足並みを合わせろ、揃えろと言う言葉が
やたらと耳に残る様になりました。

時短する事の弊害が自分の中でも
見えたり感じたりしたのも理由の一つだし

『パワハラ』って言葉が問題になり出した頃でもあった為、突っ走れなくなったなと感じていたからだと思います。

だからといって《やり方と生き方》をガラッと変えたかと言うと、

その時だけ一度待つ、踏みとどまるっていう選択を
追加したって程度でした。

しかしそれだけでも
見落としを見つけたり、早とちりを防げたり
全体を見渡す時間を得ると言うメリットを得ました。

失敗が減り、効率が良くなったと言う実感です。


これは

私が三年、八年を待ち切れずに早く結果を得たいと考えている人だからの経験と体験ですが、

どうすれば実るのか腐らすのか
どうすれば楽しめるか疲れるのかは

いっぱい試せば試すほど、実った時の喜びや満足度は何倍にもなり、価値をシッカリと実感出来ると言う事です。

たぶん、どんなやり方や生き方をしたとしても
三年、八年後には何かしらの結果としての実は成っていると思います。

私は腐らせてそれっきりにしているモノや事はいっぱいありますし
結果が待てずに諦めて手放したモノや事もいっぱいあります。

だからこそ実ったものは格別です。

でも、私は急ぐがあまりそれを実感するのは
だいぶ後の、忘れた頃になります。


気力と体力が衰えだし、身体も思い通りに動かなくなったとも実感している今

またやりたい、試したいと思えるのは
どれも以前に種を撒き、あれこれ試したモノばかり

当時より効率良く出来る自信と経験と実感が
あるからこそ、今からでもまたやれると思える。

人生の後半は収穫

こう思える様になった時から三年後、八年後には
毎年収穫を楽しめる人生を味わえるんじゃないかと思います。

皆さんは
実ったモノや事を格別だと実感していますか?

まだまだこんなもんじゃないって戦っていますか?

それは柿なのか桃なのかの違いは見極められていますか?

その一つで人生を満足させれますか?

若い人は気力、体力、身体がついてくる思い通りになる今のうちにいっぱい種を撒いて、出来る限りの失敗を経験しましょう。

させてもらいましょう。

気力、体力、身体が…と感じる実感してる人は
たぶんやり過ぎています。
勇気を持って一度立ち止まり、休憩してみましょう。

収穫し忘れてるのか、追い求め過ぎて味覚が麻痺(狂ってしまっている)のかもしれません。

定年後に必要なモノは
種類も違えば、収穫期も違う様々なモノを持っておく事です。

流行り廃りにも動じない為のバリエーション
どれかが不作になっても補える

そんな未来を創る為には、自分の人生をしっかりと見つめ直す為の時間と心構えが必要です。

怪我の功名とは
それを機に良い方へ転じると言うこと。
立ち止まる時間と心構えが出来た時に、未来は変わり、人生はありがたいモノへと変わっていきます。

それ、は多いに越したことはなく自分が不自由になった時に必ず役に立ちます。

若いウチに楽を自由を安定を求めると
必ず未来は何もない不安と人のせいにする苛立ちの日々を送ることになりますよ。

私はそんな先輩さん達をどちらも良く見て来ています。

ありがとうございます😊これからも誰かの何かに役立てるような、そんな記事を書いていきます。宜しくお願いします。