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リリカル・スペリオリティ! #7「悪魔の足音」

※前回までのお話はこちら

第7話 悪魔の足音

 華蓮が佐藤リリカの尾行に失敗してから、6日経っていた。その間、華蓮は2週間分の洗濯物を3日に分けて洗い、学校がある日は特に用がなくても1年生の教室の前をゆっくり通り過ぎたり、あの季節外れの桜を観察したりしていた。もちろん、高校教師としての勤めを果たしながら。
 しかし、教室の外から一瞬見えた佐藤リリカは、同級生と笑い合い、授業を真面目に受ける高校生の女の子だった。華蓮が見た限りでは、あの桜には近付いていなかったが…。

 特に進展のない日々を過ごしていたある日の昼休み、華蓮は職員室で昼ごはんーコンビニで買ってきた鶏そぼろと卵の2食弁当をモソモソと食べていた。
 パサパサした鶏そぼろとご飯を咀嚼しながら、考えることはやっぱり佐藤リリカのことだった。

 本当に佐藤リリカは私たちが追ってるデビルズなのか?単なる人違いなんじゃないか?

 潜入し始めてから約半年間、何度もこの考えがよぎっては、「いやまだわからないし!」と己を奮い立たせてきた。しかし、自分がやっていることが本当に意味のあることなのかと考え始めると、ため息が出そうになる。
 華蓮がため息をつこうとしたまさにその時、先に根を上げたのは隣の席の高橋萌加だった。
「は〜あ!」
 高橋は、隣でサンドイッチを頬張りながらパソコンと睨めっこをしている。
「もう!何度言ったらわかるんだろ、島田の奴〜!」
「どうかしたんですか…?」
 荒ぶる高橋のパソコンの画面を見ると、校則の違反者リストが表示されていた。違反者リストは職員室のパソコンで見ることができ、教職員ならみんな編集できる共有のファイルである。
「いや〜古典の島田先生にね、違反者リストを閉じる時は1年A組のシートの、一番上にカーソルを合わせてから保存してって100万回は言っているのに、毎回自分のクラスのところで保存して閉じちゃうの」
「それはそれは…」
 確か、島田は3年D組の担任だ。
 違反者リストは、クラスごとにシートで分かれている。各々のクラスのところで保存されると、開始するシートが毎回異なるので操作性が悪くなる。
 彼女は前職でシステム開発をしており、設計書などをファイルで納品していた関係からか、ファイルの保存状態や管理には厳しい。そして、古典の島田先生は何度も高橋に注意されているが、毎回3年D組のシートで保存している。

「人間、癖がつくとなかなか直らないものですよねぇ」
 かっかしている高橋に、小腹が空いた時用の煎餅をあげた。
「わー、鈴木ちゃん、ありがと!…本当にね、私は新卒の時から『エクセルはA1セルにカーソルを合わせてから閉じろ!』って仕込まれて生きてきたから、それ守んない人見るとイライラするけど、世間では私の方が珍しいのかな」
 高橋は華蓮があげたのり煎餅をボリボリ食べている。サンドイッチだけでは足らなかったらしい。
「高橋先生のクラスで違反者出たんですか?」
 確か高橋は、昨日も違反者リストを編集していた。
「そうなのよ。なんか2日くらい前から、ネイルしてくる子がいたり、パーマを当ててくる子がいたり。今日は、化粧。うちは2年生のクラスだから、校則を知らなかった、てことはないと思うんだけど、最近ちょっと多いの」
 他のクラスのシートを見ると、ここ数日で制服の着崩しや染髪、化粧など、外見関連の違反が多い。高校生の校則違反なんてそんなものかもしれないが、急速に増えている。
「うちも増えてるよ、違反者。男の子も、女の子も。そろそろ受験の天王山の夏休みが来るっていうのに、大丈夫かねぇ」
 島田先生が会話に割って入ってきた。高橋が島田をギロリと睨む。
 島田達男は40代後半、古典の担当で、情報管理に厳しい高橋の注意(クレーム?)をいつも右から左に聞き流している。
 島田は手に持っていたうちわを仰ぎながら「あ、3年D組の前田も今朝染髪で違反カード切ったから更新しといて」などと高橋に言うと、自席に戻って行った。

「島田先生に注意しなくてよかったんですか?」
 小声で話しかけると、高橋はウエットシートで手を拭きながら呟いた。
「もうあの人に注意しても無駄だと思っちゃったんだよねぇ…」
「そうかもしれませんね…」
 同情するしかない。
 教師として潜入して半年、骨が折れる仕事だなと感じている。同僚にエネルギーを使っている場合ではないのだろう。
「昨日さ、うちのクラスの子がネイルしてたから違反カード切ったんだけど、『なんで先生はネイルして良くて私はダメなんですか?』って言われちゃってさー」
 高橋は自分の手に施したネイルを見ながら、2度目のため息をついた。爪には、先週とは異なったデザインの花があしらわれている。確かに、生徒の言いたいこともわからなくはない。
「まぁ、もう高校生なんだし自分の爪ぐらい自分で管理できるだろ、って私も思ってはいるんだけど、決まりは決まりだからねー。『体育の時にボールで怪我したら危ないでしょ』って言うので精一杯だったなぁ」
 爪を彩っている花々に気をつけるようにして、高橋はハンドクリームを塗り始めた。
「…高橋先生は、いつも手を綺麗にされてますね」
 高橋はニヤリと笑った。
「だって…『古典の島田、相変わらず言うこと聞かねえな』って思った時に、自分の手が整ってて、かつ爪が可愛かったら癒されるでしょ」
 なるほどなぁ…。華蓮は、特に手入れをしていない自分の手を眺めてみた。食生活の乱れ、睡眠不足などがたたっているのか、指にささくれが多い。
 警察、教師のダブルフェイスの自分に、果たして生活改善ができるだろうか。
「ふぁ〜あ」
 まずは睡眠不足から改善するかなぁ…。
 冷房の効いた職員室に暖かい日差しが差し込み、華蓮は眠気を催した。
 外では、嵐の前の静けさのように、穏やかな風が吹いている。

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