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リリカル・スペリオリティ! #8「ある午後の『いつもの』教室にて」

※前回までのお話はこちら

第8話 ある午後の『いつもの』教室にて

 リリカが尾行をまいてから6日が経っていた。
 あれから毎日、学校に行く日は通学経路を変えていたが、特に変わったことは起きなかった。今日の朝も、いつもと逆回りの山手線に乗って学校に来たが、尾行されている様子もなかった。
 …今日からまたいつもの経路で帰ろう。
 リリカは教室の自分の椅子にもたれかかると、手足をだらんと伸ばした。ここ数日、「チェイサーにつけられているかも」と思いながら過ごしていたので、急に力が抜けてきた。
 教室の黒板横にある時計に目をやると、12時50分だった。あと10分もすれば、昼休みが終わり、次の授業が始まる。

 教室が穏やかな陽気に包まれる中、隣の席に座っている園子の顔が何やら険しい。
「園子、大丈夫?」
「う〜ん、お腹減っちゃっただけ!お腹が鳴りそうだったから、力入っちゃって」
「そういえば今日、いつもよりお昼ご飯少なかったよね」
 確か今日の昼休み、園子はコンビニのサラダチキンしか食べていなかった。
「ちょっとダイエットしてて…」
「ダイエット?」
 ダイエット。痩せるための取り組みだったはず。
「園子、別に痩せなきゃいけないようには見えないけど…」
 身長は160cm弱、特に肥満気味には見えない。
 園子はポケットから小さな鏡を取り出し、前髪を整えながら答えた。
「…この前、リリカにミスコンの話をしたでしょう?こういう行事って、他人事っていうか、自分はどうせ蚊帳の外なんだろうなってずっと思ってたんだけど…。なんか最近、自分だって、もっと『あの人いいね』とか、『可愛いね』って言われてもいいんじゃない?って思うようになったの」
 園子は照れているのを隠している。鏡に顔を向けたままだ。
「…園子は今でも十分可愛いと思うけど」
 思ったことを言っただけだが、園子は驚いた顔でこちらを見た。頬が少し赤い。
「ちょっとリリカ、真顔で何言ってんの!リリカがイケメン男子クラスメイトだったら恋に落ちてる展開だよ!」
「イケメン男子クラスメイトじゃなくて悪かったわね」
 園子は、まったくもう!と言いながらも、少し嬉しそうだった。

 現代文の田中先生が入ってきて、5時間目の授業が始まった。
 昼休みの後の現代文の授業は、生徒にとって睡魔との闘いである。
 今日みたいにジメジメしすぎず、カラッとした穏やかな天気の日は、絶好の昼寝日和と言っても過言ではない。

 先生の音読の声は、生徒にとってほとんど子守唄と化していた。教室のあちらこちらで、ほおづえを突いたまま眠ったり、船をこいでいる生徒がいる。
 しかし、リリカの場合は、今の現代文の授業で扱っている好井裕明の「『普通であること』に居直らない」(※)という評論文を何とも新鮮な気持ちで読んでいた。
 なぜなら、リリカにとってこれが初めての「読書」のようなものだからだ。
 先生は、寝ている生徒の机を「トントン」と叩き、教科書の音読を促した。
 生徒がガタッと席を立ち、しどろもどろになりながら、音読を始めた。

「『普通の人間』とは、いったい誰のことを指しているのだろうか。先に結論を言えば、『普通の人間』など、どこにもいない。一人一人が異なった人生を送っている毎日があるだけで、そこには他者との親密な関係もあるし、葛藤もある。軋轢もあるだろうし、なんとも言いがたい『生きづらさ』もあるだろう。」(好井 2016, p.223)

「よし、座っていいぞ」
 生徒は、寝ていたことがバレて恥ずかしいのか、顔を赤くして座った。
「えーと、続きを…、って、おい佐々木、何やってるんだ」
 教室に流れていた穏やかな空気を切り裂くように、先生の声が響いた。
 教室の通路側の、リリカと同じ、前から5列目の生徒が何か取り上げられている。
「はい、ヘアアイロンで髪を整えてました!」
 佐々木は立ち上がり、元気よく答えた。
 何やってんだあいつ、正直すぎるだろ…。
 リリカはドン引いたが、教室内では笑い声が響いた。
 佐々木駿はお調子者キャラで、クラスのムードメーカー的存在のようだ。
「まったく…。今は授業中なんだから、授業に関係ないことはやっちゃダメだぞ。次やったら違反カードだからな」
 佐々木は先生に「すいませーん」、と軽く謝ると、席についた。周りの席の生徒に、バレちゃった、というような顔を振り撒いている。

「佐々木って授業中にあんなことする奴だっけ?」
 園子が隣から小声で話しかけてきた。
「『俺はお前らと違ってオシャレとか興味ないし、必要もない』って言ってたよ」
 つい数日前、クラスの数人がネイルやヘアセットにこだわり出していた時、佐々木がおどけるよう言っていた。
 人間の外見について、リリカはさほど興味もなければ違いもわからなかったが、佐々木はクラスの中でも「イケメン」で「人気」の部類なのだろう。昼休みや放課後、佐々木の周りにはいつも誰かがいる。
「佐々木もミスコン、いやミスターコンか、気にしてるのかなぁ」
 佐々木「も」。やっぱり園子も、「ミスコン」の存在を気にしていたか。

 先生が「佐々木、お前が続きを読め」と指名し、佐々木が読み始めた。教室は何事もなかったかのように、穏やかな日常を取り戻している。
 リリカは窓から季節外れの桜を見ながら、「種」は芽を出して順調に育っている、と思った。


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引用文献

好井裕明(2016).「『あたりまえ』を疑う社会学 質的調査のセンス」.光文社

※作中の「『普通であること』に居直らない」は、上記文献の第七章のタイトルです。本作はフィクションであり、架空の高校現代文の教科書掲載の文章として、上記文献を引用しました。


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