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リリカル・スペリオリティ! #6「ドッグカフェ・トラップ!」

※前回までのお話はこちら

第6話 ドッグカフェ・トラップ!


1.

「あー犬ってかわいーなー」
「ちょっと、リリスさん、心の声漏れてますよ!そりゃ犬は可愛いですけども」

 サタンがリリスから呼び出しを食らったのは、電車に乗って帰宅している時だった。
 高校からの帰り道、電車の窓から流れる景色を見ながら、「今日の夕飯は何にしようかな」などと考えていると、制服のズボンに入れていた携帯電話が鳴った。
 画面には、リリス―現在は「佐藤リリカ」として高校生をやっている、サタンの先輩の悪魔―の文字があった。
 サタンは電車の窓際に寄り、電話に出ると、「今電車に乗ってるんで、降りてから折り返します」とリリスが何も言わないうちに言ってやった(小声で)。
 しかし、そんなサタンの小さな勇気なんて通用する相手ではない。
「そんなことを言ってる場合か。今から秋葉原のワンワンカフェに来い。すぐにだ」
 サタンに反撃の余地も与えられないまま、電話は無情にも切れた。
 あのクソ悪魔!鬼!
 サタンは叫びたくなるのをこらえながら、電車を2回乗り換え、秋葉原にやってきた。
 そして今、なぜか床に座ってふわふわモコモコの白いポメラニアンを撫でている。

「何で秋葉原なんですか!?通学経路じゃない上に、なぜ犬カフェ!?」
 同じく床に座り、黒いチワワを撫でているリリスは、心底満足そうな顔をしている。
「いや〜、触ってみたかったんだよね、犬。散歩中の犬とかさ、可愛すぎてこの世のものとは思えないわ」
 平日の夕方、秋葉原の雑居ビル7階にあるこの犬カフェには、リリスとサタンの他に客は2人しかいない。犬は全て保護犬で、里親探しも兼ねているカフェのようだ。

 リリスは「おー、お腹すいたか?ちぇ~る食べるかい?」などと今まで全く聞いたことのないような猫なで声(犬なで声か?)でチワワに話しかけ、おやつをあげ始めた。
 この人(いや、この悪魔か?)、の考えていることはいつもわからない。

「ここに来る時、変な奴とかいなかったか?」
 リリスは美味しそうにおやつを食べるチワワを撫でながら、小声で聞いてきた。
 視線はチワワに向いているが、こちらの回答を注意深く聞いている。周りにいる犬の鳴き声で、サタンにしか聞こえない声だった。
「いや…特に怪しい人や、つけてくる人もいなかったですよ?」
 秋葉原駅の電気街口から、ジメジメする空気の中15分もかけて歩いてきたが、特に異変は感じなかった。
「そうか…なら良いけど」
「何か変なことでもあったんですか?」
「…ああ。上野駅から山手線に乗る時、変な視線を感じたんだ。誰かにつけられてるっていうか…。だから、いつもと逆方向の電車に乗って、適当に秋葉原で降りた」
 リリスの視線がサタンの足下に向いている。下を見ると、さっきまで撫でていたポメラニアンが、頭をサタンの膝に乗っけて眠っていた。

 ポメラニアンを起こさないように気をつけながら、入店時に頼んだコーラに口をつける。
 それにしても、なんで犬カフェなんだろう?
「なんで犬カフェ?…とでも思ってるんだろ」
 リリスがジロリとサタンの顔を見た。この人の見習いを始めてから半年は経っているが、変なところで勘が効くタイプだと実感している。
「ここの犬カフェは全面表の通りに面していて、中の様子は丸見えだが、逆にこちらからも外の様子は丸見えだ。近くにここより高いビルもない。かといって犬カフェの中に入ってくるにはこちらに正体がバレてしまうリスクもある。そいつ、今日は諦めて退散してくれるんじゃないか?…まあワンちゃんと戯れたかったのが一番だけど♡」
 リリスはこちらにウィンクすると、犬用のボールを壁の方に向かって小さく投げた。チワワが小走りで取りに行き、ボールを咥えて帰って来る。
「ももちゃん、よくできまちたね〜」
 このアクマ、本当何考えてるのかわかんない!!すぐにはぐらかすし!
「でもでも!リリスさん、何で、もう変な奴に追われてるんですか?なんか悪いことしたんですか?」
「いや?日本国民として、法律に則って生活してるつもりなんだけど」
 リリスはケロッとした顔で答えた。もめ事は面倒なタイプなので、恐らく本当に何もしていないだろう。
 と、なると…。
 サタンに、嫌な予感が走った。
「まさか…チェイサー?」
 グッと声を潜めた。外ではチェイサー関連の話は御法度だと十分承知ではあるが、チェイサーだった場合はすぐにでも本部に連絡する必要がある。
「わからん。…ただの私のファンかもしれないし♡」
 リリスは、チワワのももちゃんに向かって笑いかけた。ふざけたような口調をしているが、声にはやや緊迫感が漂っている。
「チェイサーだったとしても…まだ何もしてないですしね…」
 たとえチェイサーたちがこちらの正体に気づき、万が一拘束されたとしても、証拠がない。まだ何もしていないし、リリスやサタンが何か計画していることを証明できないはずだ。
「あー、それなら、『実験』用の種は蒔いてきたぞ」
「え?」
「まあ明日には芽を出すんじゃないかな」
 リリスは、チワワのももちゃんに向かって「ねー」と声をかけると、それきりサタンに背を向けた。これ以上はここで話すつもりはないのだろう。
 犬カフェの窓から見える空には、グレーの厚い雲が覆っている。
 これからひと雨降りそうだ。


2.

 時間はもう夜9時を回っていた。
 夕方に降った雨は昼の蒸した空気を一気に流し去り、ここ数日では珍しく、涼しい風が吹いている。
 最寄り駅から家まで徒歩10分。夜になると人がまばらにしか歩いていないこの通りには、華蓮の履いているヒールの音だけが鳴り響いている。

 あーーーーー、やってしまったーーーーー!

 電車から降りて1人になると、今日の己の愚かな行いに対する恥が一気に襲ってきた。
 今日初めて佐藤リリカと接触できたのは良かった。
 話し方や仕草、受け答えを見ても、間違いなく「人間」だった。
 下書きのコツを教えたら、自分の思い通りの絵に近づいて喜ぶような、「普通の」「人間の」女の子。正直、あの子を「デビルズ」だと断言する方が難しい。
 でも、何かが引っかかった。だから、6時間目の授業がなかったのをいいことに、仕事を早く終わらせ、変装をして下校中の佐藤リリカを尾行してしまったのだ。最終的には、監視しにくい立地の犬カフェに入られてしまい、尾行を途中で断念するという最悪の展開が待っていたが・・・。

「ことを急ぐなとあれほど言っただろう!もし佐藤リリカが本当にデビルズで、バレていたらどうするつもりだ。半世紀ぶりのチャンスが水の泡だぞ!」
 本庁に戻り、事の顛末を上司の小林に報告すると、予想通り大目玉を食らった。小林のスーツに染みついたタバコの匂いが今でもありありと思い出せる。
 自分が蒔いた種とはいえ、結構立ち直れない。自分はなんてバカなんだろう。なんで佐藤リリカの正体を掴もうと、焦ってしまったんだろう。
 自分を責める言葉が溢れて、止まらない。
 横断歩道の信号が赤になった。視界が潤んできて、目の中に赤い光が広がった。今にも涙がこぼれそうだ。

 信号が変わるのを待っていると、カバンの中で携帯電話が鳴った。画面を開くと、母から電話が来ていた。
「もしもし?」
「ああ、お母さんだけど」
「知ってるよ。何?」
 鼻水が出そうなのをこらえながら答えたので、ぶっきらぼうな返事になった。
「今週の土曜って家にいる?」
 なんとまあ急な・・・。母は用があるとき、いつもギリギリのタイミングで電話してくる。
「いるっちゃいるけど、どうかした?」
 信号が青に変わった。車が来ないかどうかを確認して横断歩道を渡る。
「土曜、そっちに桃が届く予定だから、ちゃんと受けとんなさいよ」
 って事後報告かい!
「桃って・・・あれ、叔父さん家の桃?」
「そうよ、毎年送ってるじゃない」
 叔父は桃農家で、毎年季節になると実家にも分けてくれる。華蓮が美大に進学するために上京してからは、そのおこぼれを送ってもらうようになった。
「あぁ・・・そうだったね。うん、ありがとう・・・」
「何?まーたなんか落ち込んでるの?」
 母の声はすべて見透かしているような声だった。電話の向こうで、「ははーん、さては」とニヤニヤしているのが目に見える。
「別にー。何でも無いよ」
 母には公安部で働いていることは伝えているが、高校の教師として潜入していることは隠している。何かあったとしても、言えない。
「そんなんじゃ、国を守る公安が務まんないわよ」
 ぐぬぬ。痛いところを突くではないか。
「まぁ、まだ若いんだから、失敗したって何したって、何とかなるわよ」
 母は、あっけからんとした声で言った。
「まったく、雑だなぁ」
「じゃあね、ちゃんと桃受け取ってよ!」
「はぁい、おやすみ」
 母は、言いたいことだけ言って電話を切っていった。嵐のような女である。
 「何とかなる」、か。
 さっきまでの自分を責めていた気持ちが少し落ち着いてきた。
 そうだよな、まだ佐藤リリカの正体だってわかってないし、こっちの正体がバレたとも限らないし。
 明日からまた、がんばろう。

 少し足取りが軽くなってくると、ふと尾行した時のことが頭をよぎった。
 佐藤リリカに犬カフェに入られた時、ここにいても埒があかないと思い、すぐ立ち去ってしまったが、あのまま見張っていたら、何か動きがあっただろうか。もしかして、あとから仲間が来ていた可能性だってある。
 確かめたい気持ちはあるが、「デビルズの動きがあるまでは過度な接触は禁止」、と小林に命じられているので、うかつな行動はできない。尾行は持っての外。
 明日からどうしようかなぁ。それとなく、1年C組の前を通るとか?
 何か方法はないかと考えながら信号のない横断歩道を渡っていると、華蓮の住むアパートが見えてきた。
 郵便受けに詰まったチラシ類と郵便を仕分けながら、煌々と灯りがついた階段を登る。
 何はともあれ、2週間ためた洗濯物が家で待ち受けている。まずはあいつらをなんとかしないと、明日着る服がない。
 我が家の惨状を母に見られたら、また「ははーん、さては仕事にかまけて洗濯をサボり続け、服がないからってユリクロで買い漁り、ついにそれも尽きたな」と一発で見抜かれるだろう。
 は~あ、とため息をついて、華蓮は家の中に入った。


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