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キャリアカウンセラーのおかちんです。

今日はどんな一日でしたか?



北京オリンピックが閉幕し、なんだかぽっかりと穴が開いたような寂しさを感じるここ数日です。

いまあらためて思い起こすと、羽生結弦選手の「報われない努力」という言葉が気になるわたしがいます。

ということで、今日のnoteで取り上げてみます。



結果についてはこの記事の通りです。

いま読んでも、インタビューで見せた涙と悔しい表情が思い起こされます。



もし氷の溝がなかったら・・・
もし足の状態がよかったら・・・
もしSPが上位だったら・・・

そんなことを思うと、FPでの4回転アクセルの挑戦も、その後のインタビューで語った「報われない努力だったかもしれない」という言葉も、違っていたのかもしれません。



ところで、彼にとっての「報われる」とは何を指しているのでしょう?

何がどうなったら「努力が報われた」と感じたのでしょうね?


SPをノーミスで滑り切れたら?
4回転半を完璧に着氷できたら?
金メダルを取ったら?
今季世界最高点を出したら?

この部分は(あえてなのか)彼は語っていません。


わたしたちの想像が及ばないほどの努力を重ねてきたことはわかります。

その努力を生んだのは、語られていない彼の中の「思い」にあるのでしょう。

4年前の平昌五輪で連覇を果たし、燃え尽きたはずの心に再び火を灯したのは・・・



試合後、彼のメッセージがYoutubeにありました。



こちらはつい昨日アップロードされたばかりのメッセージです。



共通しているのは「応援」への感謝ですね。その思いを彼の言葉で伝えてくれています。

「みなさんの応援があってこそ(中略)成り立っているんだな」
「自分の作品たちプログラムたちを見てやってください」
「応援が僕の背中を押してくださり、そして演技となったと思います」
「たくさんの力をいただきました」



もしかすると彼にとっての「報われる」とは、「応援してくれるみなさんの期待に応えるプログラムを滑り切ること」なのかもしれないですね。

「報われなかった」と感じたのは、「期待に応える演技ができなかった」と彼自身が感じたから。それは「完璧で人を魅了する『羽生結弦にしかできないプログラム』を滑り切ること」だったのかもしれません。


それは果たして彼自身の本当にありたい姿なのかどうか・・・

「羽生結弦という一人の青年」の自己概念に触れてみたいと思うわたしがいます。



ただ、「報われない努力がある」という彼の言葉は、たくさんの人の心に響いています。他ならぬ『羽生結弦』の言葉だからこそ、ここまで大きく響いているのでしょう。

誰かを恨むでもなく、ミスを悔やむでもなく、「努力が報われなかった」と表現した彼はすでに「応援する人の期待」に応えていたのではと、わたしは感じました。


彼が現役で活躍している姿を見ることができて、わたしは幸せです。もはや試合の成績や結果ではなく、『彼の生きざま』が人々に影響を与えるほどの存在になっています。

まだ彼の活躍は見られそうですね。近いうちに「努力が報われる」ことを期待し、応援し続けたいと思います。




明日も素敵な一日でありますように。

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