・限界を迎えた安倍政権

コロナが蔓延し市民の生活が圧迫されてる今日において現状の政治への批判は絶え間なく行われている。今回の政権に対する批判はこれまでのものとは間違いなく異質だ。

コロナ以前に起きた政権の不祥事に対する世論は擁護するものと非難するものとでわりと半々のように見えたが今回はこうはいかなかった。

今回の対応を見れば当たり前の話だが、これでもまだ安部政権支持をする人たちは何を持ってそう語り、その目で何を捉えているのか、疑問が絶えない。

未だかつてないほどに縁故資本主義が隆盛を極めたかにも見える現状の中、経済でその立場を維持してきた安部政権はこのコロナウイルスの収束と同時に崩壊する可能性が出てきている。

検察とは人事でもめ、コロナで日本社会が緊迫する中、今国会では平然といくつもの法案がなし崩し的に成立していくことになる。検察の抵抗も著しく自民党議員の逮捕や捜査など政権に対して攻撃を行っている。

国民からの非難も日に日に増し、飲食店は壊滅的な被害を受け続けているが保障が満足に貰えるとは限らず、収入がないのに税金や家賃は当然のように請求される世の中に経営者や貧困層は毎日戦々恐々としている。

これらの状況を政治家が理解できているとは思えない。自分たちの置かれている経済的に安定した職にあぐらをかき、自分たちも給料を減らすといいつつその実態は大して減ってもいない。

リーマンショックの時よりも、民主党政権の時よりも、対策してるというが比べてもどうしようもない時代と比べている。

国民はそのような上辺の言葉を求めているわけではない。結果の見える行動を求めているのだ。

情報社会で世界各地のコロナ対策がすぐにわかるにも関わらずふざけた態度で言葉遊びに興じるさまは断罪されてしかるべしだ。

自民党内や公明党も政権批判を強めている。二階幹事長が10万円の給付を政府に要請などという報道を見たが、彼自身はまちがいなく財務省がケチで金を出さないことはわかってる。あれは安倍晋三という人間を見放したと見える行為だ。麻生太郎も減税に応じる姿勢は見せず、財務省の言いたいことを不遜な態度といういつものイメージでもって自分への批判へと変えている。

国民は勘違いをしているかもしれない。金を出さないのは安部政権だけの意思ではない、予算を決める財務省もまた国民の生活を鑑みない悪だということを。

戦後日本の政治の特徴として経済が不調になると自民党政権が終わり、一時的に力のない政権が誕生ししばらくしてまた自民党政権に戻るという一連の作業がある。一種のガス抜きみたいなもので、自民党政権が終わったことで新たな政権に夢を持たせ、その政権があからさまにダメなもんだから「やっぱり自民党しかないね」と再び政権の座に戻る。これは意図されて行われてることではないが結果としてそうなっている。

しかし、今回はこうはならない。なぜならガス抜きになってくれる政党が野党に存在しないからだ。最大野党の立憲民主党の酷さは明確。国民民主党・日本維新の会も弱く、共産党や社民党は論外だ。れいわ新撰組もここに来てメディア露出が減っている。自民党内での疑似政権交代が起きるに過ぎない可能性が出てきている。

とすれば誰なのか。岸田文雄が最有力だ。小泉進次郎でもないし、河野太郎でもない。私は今あげた3人の誰にも期待していない。さらに言えば自民党に期待していない。私はこの国の「民主」とつく政党にまったく期待はしていない。

若い人が自民党支持だなどということがしばらくまえに言われていたがあれは当時の状況がそう見せたに過ぎない。ただでさえ選択肢が少ないこの国の政治でどっちの方がましかということでしか選べないこの国の政治の脆弱さ。このコロナで自民党内での疑似政権交代が起きても現状はなにも変わらない。ただ期待することだけが無駄になる虚しい状態が続くのである。


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