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おおらかな時代は終わった?

 今のご時世、時々過去と比較して「あの時はおおらかな時代だったから」と発言する人がいる。私はこの言葉にいくらかの疑問を持つ。

何故おおらかな時代は終わったのか。まるで空気感や雰囲気の話をしてるような気がするのだ。

時代という単位はその時間を生きている構成員である個人の集合体として現れるゆえ、個人の感覚次第ではおおらかな時代は今後十分に復活するのではないのだろうか。

 今がおおらかな時代でないとして何がかつてと違うのか。それは景気状況ではないかと感じる。高度経済成長から安定成長期を経てバブルを経験した昭和中期から後期にかけてと平成の低成長期と呼ばれるデフレ、不景気時代では肌感として感じる社会の空気感は大きく変わる。

特に小泉政権以後はあくまで私の感想だけれども酷く暗い時代だったように感じる(その時期に私の父が鬱だったというのが一番の要因だとは思う)。人はこのような時代の低落の中でかつてを羨み過去だと切り捨ててきた。

しかし、これは過去ではあるが決して戻れないものではない。あくまで社会を構成する個人の認識の問題だ。すなわち個人の大多数の認識が明るい方向へ向かえば再び「おおらかな時代」が同じ形ではないだろうがやってくる。

 先月の日経平均は久々の3万円越えとなり、一部の識者はこれをバブルと断じて警鐘を鳴らした。しかし、この事実認識が正確かはまだわからない。確かアラン・グリーンスパンの言葉だったと思うが「バブルというのははじけてみないとわからない」のである。

日本の景気感を見るととてもバブルとは言い難い。真にバブルのような景気感だとするならばそれは「おおらかな時代」への回帰が起きていても然るべきだ。しかし、現状は起きていない。ということはバブルのではないのではないかと推測できる。

しかし、株価の上では「おおらかな時代」への回帰が予想されているという事実は重要な事だ。すなわち今後の政治の経済政策次第では十分に過去と断じて遠い夢に位置づけてきた「おおらかな時代」はやってくる。

そのために重要なのはそれを構成する個人の認識の改善だ。景気感の向上を株価以外でも示す。国民負担率が増加傾向となっていることを鑑みて減税をするなり、給料が増加していくための景気対策を打つなりやるべき事はたくさんある。

感染対策もそうだ。尾身会長が「インフルエンザ程度の認識、、」と発言した辺りからもはや状況は個人の認識に委ねられている。これはすなわちどうとでもなるということだ。

「明るい時代=多くの社会構成員が明るい印象を持っている状況」であり、おおらかな時代もそれと同様の状況によって生まれる。多くの人間の認識転換を起こすためにやはり社会参画と政治参加は常に個人の幸福のために必要なことなのだ。


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