見出し画像

何かに変身したかった夜の話

魔法少女になりたかった。
というのは言い過ぎだが。
今の自分じゃない自分になりたかった、変身願望の強かった頃がある。

社会人一年目。
右も左も分からないまま現場に放りだされ、息をつく暇もなく、気付いたら三ヶ月経っていた、みたいな生活を送っていた頃だ。
多分、変わる方法は何でもよかったのだ。

そして、当時の私が選んだのは、化粧だった。

ドラッグストアに駆け込んで、買ったのは真っ青なアイシャドウと赤のリップ。あえて小説風にいうなら、夜の始まりに似た青色と、ワインを煮詰めに煮詰めたような濃い赤色。
普段、アイシャドウは茶色かピンク、リップは赤寄りのピンクを使っている人間だ。
(たまたまメイク講座というやつに参加する機会があったときに、「あなたはピンクかブラウンがいいです! リップはピンク!」と言われたので、律儀にそれを守ってる。今思い返せば、あれは無難なヤツを言われたに違いない)
なので、青のアイシャドウとボルドーの口紅というやつは、生活にない何とも異質な色だった。

真夜中、小さい鏡を机に立てて、その前に化粧品を並べる。外はやけに静かで、部屋は電気をつけてるはずなのに、間取りのせいで薄暗い。何とも言えない呪術的な雰囲気に、思わず笑いそうになってしまった。

青のシャドウを塗る。ケースの裏側に塗り方のコツが描いてあったので、それに沿って色をグリグリと重ねる。重ねる。重ねる。最後に、はっきりと分かれていた境界線を、ブラシでぼかす。
ボルドーの口紅を塗る。口の端から端まで勢いよく塗って、それから隙間を塗りつぶすようにぐりぐりと口紅を動かす。その行為は、クレヨンで塗り絵を塗る子供によく似ていた。

時間にしておおよそ十五分。
かくして鏡の中に現れたのは。塗りたくった目の周りの青のアイシャドウがアザのように、ボルドーの口紅が血のように見えたせいで、顔面をぐちゃぐちゃにぶん殴られたように見える、それはそれは酷い自分の顔だった。

もう、腹を抱えて笑った。涙が出るほど笑った。顔面の写真を撮って、友人に送りつけて、さらに二人で笑った。
それから、丁寧に化粧を落として、全面が真っ青に染まったコットンを見て、独りでまた、笑った。

この話を笑い話として他の人に掻い摘んで話すと、「それは塗り方が悪かったせいだよ!」とか「ちゃんとブルーを基調としたメイクを教えてあげる!」と親切に言ってくれる人がいる。
申し出はありがたい。
が、申し訳ないが、そうではない。

これは笑ってくれた方がいい話なのだ。
衝動のままに、今の自分とは違う何かに変身しようとして、めちゃくちゃなことになって。そうして、変身願望がすっかり満たされてしまった女の話。
そうやって消化してもらう話なのだ。

今でも自室の化粧バッグには、この青のシャドウとボルドーの口紅が眠っている。
いつかまた顔面をぐちゃぐちゃにしたい衝動に駆られたときに使えるように。
そもそも、そんな日が来ないことを願いつつ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?