実生活での指導(8)現実に立つ指導(3)指導が実る時(1)「現代人物論 池田大作」小林正巳著(昭和44年9月25日)第35回

指導が実るとき(1)
 以下は最近の指導会、懇談会などにおける池田の指導の実例である。(指導はやはり信心上の話が中心になるが、一般になじまない純仏法上の話は避けた。)

<M大学会で、革命児として生きてゆく道を教えてくださいとの問いに>
 「われわれは、ともすると過去の先入観、過去の事象に観念的にとらわれてしまう。過去は一つの参考として見ていくことは大事だが、未来も同様な方程式でいくと決めるのは、間違いだ。社会にでて、自分の生きる道で自分の力を存分に発揮していくことだ。いかなる形でもよい、社会に貢献してゆくことが、広宣流布なんですよ。
 暴力で単純に革命ができると考えているのは、英雄気どりであり、幻覚です。そういう英雄主義は過去のものだ。“質実剛健”ももとより結構だが、私は二十一世紀の人間像を夢みていきたい。
 私は絶対に犠牲者は一人もつくりたくない。失明したり、不具者になってしまって、何の人生か。道理に反した無茶な行動が何年つづくことか。途中で崩れてしまえば、これは一時的な革命の遊戯になってしまう。自分自身の革命が第一義の出発だ。そして真実の革命は哲学が根底になければ絶対に駄目だ」

〈 学会の出版関係職員との会合で 〉
「戸田前会長のもとで戦っていたとき、みんなはその場をどうしようかと指導を聞いていた。私は、先生がなくなったあとの遺業をどうしようかと心配して聞いていた。
 同じ指導をきいても、それを起点として先のことを考えているか、いないかで、その人の成長はまったく違ってしまう。先を見通し、時代に先んじていくことが大事だ。あとからついていこうとする人は伸びない」
そして、部屋のドアを指して、
 「扉がそこにあるとき、その扉の向うに何があるのかわからないのと、この扉は屋上へ通じているとわかっているのとでは大変な違いなのです」

〈 大阪の男子部撮影会で>
 「新しい時代、新しい自分たちの世紀をつくるために,一つの信念をもってどう社会革命していこうかと思索し、みずからの主義、主張に生きる人が、青年として、人間として一番偉い人なのです。私もまた、諸君にバトンタッチするまで、真剣に走り、道を開いておきます。諸君はこれからの人だ。体を鍛え、勉強し、いつでも後継者として、新しい舞台の上で乱舞できるように、どんなに 地味でも、どんな境遇でも、喜々としてそこで生き抜いていただきたいのです」

〈N大、C大、S大の各大学会発会式の会合の席上で>
 「広宣流布の基盤は全部築いた。残されたのは、二十一世紀に向っての総仕上げ、社会革命を成し遂げるために、諸君が内外のリーダーとして成長することだ。そして、それは私にとって生涯かけて行なう仕事であり私の最大の悲願だ」
 「今の社会は爛熟期にあり、長いものにはまかれろ主義で、惰性に流されている。これが日本の現状だ。こういう時こそ、人間革命した無名の者が立ち上り、新しい時代を築いていかねばならない。これは若き民衆の団結の戦いで勝ちとることだ」

〈G大、F短大の大学会で、人を引っ張っていくにはとの質問に 〉
 「力と情熱と誠実と包容力です。力は英知。人より勉強することだ。力を持たなくてはいけない。メッキははげる。純金でなくてはならない。情熱はその人の持っている力を更に発揮させる。誠実は人間の奥底を動かす。包容力はすべての人を愛していける。この四つが人物、性格となって現われるのです。だが、根底は誠実です。誠実さがあれば、情熱も力も輝き湧いてくる」

<大阪の女子大学会の懇談で>
 「世間の人は一見楽しそうにみえるけれども、人生の坂道を下っていく人が多い。反対に 苦労しながら坂道を登っていく人もある。そこに、三十年先には必ず大きな差がついてくるだろう。人は一番つらいときに人間革命できるのです。闇が暗いほど黎明は近い。坂道ももう一歩で頂上というときが一番つらいのではないですか。登りきった人には生命の真の満足がある」

〈 関西地方の指導会で 〉
 「信心していても不摂生をすれば疲れるし、病気になる。信心は最高の健康管理法である。信心即生活だ。自分のことは自分で操縦できねばならない」

〈 東京で学生部員に>
 「自分に勝っていきなさい。自分との闘争に勝てる原動力が信心だ。仏法は全部変毒為 薬(マイナスをプラス要因に転化させること)できる原理だ。信心の英雄になりなさい」

〈 山梨地方の指導で疲れた様子の壮年の幹部に>
 「病気になったら負けだよ。病気にならないようにするのが信心だ。年配者には年配者のリズムがあるのですから、よくわきまえてやっていくのですよ。車の運転も臆病といわれるぐらいによく注意して、いつも完璧に事故なく運転することが似心に通ずるのと同じです」

〈 本部で幹部に 〉
 「私が嫌いなことは悲壮感ということです。情勢がきびしくなるほど朗らかに、にこやかに伸び伸びと戦っていただきたいというのが私の願いなのです。長い長い人生であるし、長い長い闘争です。口笛を吹きながら、そして凱旋将軍のような陽気さでいきましょう。どんなに追いつめられても、どんなに苦しい時でも、どんなにいやな時でも、どんなに苦難の時でも凱旋将軍の如く、陽気に振舞っていただきたい。これをやれるのが仏法です」

〈 九州地方の指導で>
 「信心に強信者と狂信者の二通りある。狂信者は、火の様にやるときはやるが、まわりに迷惑をかけたり、傷つけていることに気がつかないでいる。強信とは、水のように淡々として、いつのまにかまわりの人々すべてを納得させ、立派にリードしていくことだ」

〈 大石寺の近くの座談会で信心は続ける が、他の人たちの世話はわずらわしい。だから役職につきたくないという人に>
 「学会の役職は名誉のための役職ではない。不幸な人を救済する広宣流布に直結した責任職だ。名もなく、貧しい人たちのために戦う人生、最も重大な生命というものを指導する責任ある無給の役職は最も尊いと思う。

〈 群馬県下を指導に歩いたとき>
 「戦いに勝つ根本は、第一に団結です。人の和ということだ。二つに、目的のために断じて進む努力と忍耐だ。そして第三に、緻密な計画を立てていくことだ。これがあれば勝てる」

〈 東北指導で秋田の青年部幹部に 〉
 「よく、信心は弱い者がするという人がいるが、見栄を張り、外聞を気にして信心できない人こそ、弱い人間だ。では 、その人が哲学、思想をもっているかといえば何も提示できない。ただ批判しているだけでは卑怯というほかない」

<沖縄指導の際、現地の大学会発足の懇談で 〉
 「戦敗国の日本やドイツが、戦後非常な勢いで発展する一方 、戦勝国の米、英、仏などが行き詰っている。それは戦敗国には、どうしても生きなければならないという切実な戦いがあったからだ。これは個人においても同じである。苦しいながら、何とかしてそれを打開しようとした人が大をなしていくということは 、個人においても全体においても同じことである。明治維新の革命でも、突破口を開いたのは、徳川幕府から三百年間、もっともいじめられ冷遇された長州の青年である。同じ原理で、二十一世紀の日本および世界のリーダーは、常に支配される歴史に苦しみ、戦争でもっとも悲惨な思いをし、さらに、貧困と戦ってきた沖縄の青年の中から出ることはまちがいない」

〈 沖縄の高等部員(高校生)に対して 〉
 「日本の次の世代を担う指導者は、必ず沖縄の地から出なければウソだ。歯をくいしばって頑張ってごらんなさい。必ず二十一世紀の世界の指導者は、この地からでるはずだ。歴史の史観からいってそうなのだ。戦後二十数年間の苦闘、この苦闘を、この苦しみを知ったものこそ、次の新しい時代の指導者となる人達だ」

〈 定時制高校生との会合で 〉
 「今はどんな境遇であろうとも、どんな職場にあろうとも、それでいいんだ。今は小僧のような立場の人がかえって人生の仕上りが立派に絢爛となっていくのだ。今はどんなに辛くとも、苦しくとも、貧しくとも、じっとこらえて今にみろの決意でいきなさい。今は苦難の連続でも未来の栄光に輝くか、現在をいいかげんに過して、未来を犠牲にするか。それしかない。因果の理法だ 。諸君たちの未来を期待するがゆえに、きびしくいっておきたい。諸君たちは、もう真剣に社会に突入している。完全な土台づくりに入ったのだ。その上にビルをつくるか 、庭をつくるか 、五十台で証明されていけばいいのだ」