人間・池田大作(4)傲慢への怒りと思いやり(1)「現代人物論 池田大作」小林正巳著(昭和44年9月25日)第13回

傲慢への挑戦
 「どんなに偉くなっても、どんな境遇になっても、決して威張ってはいけない。威張る者とは戦おう。それが社会正義の人だ。威張るのは、キャラクター(性格)として、最低だ」
 池田の幹部に対する指導は、この点で最もきびしい。人を見下す尊大な態度、思いやりのなさ、あらゆる傲慢さに、池田は本能的ないし、条件反射的ともいえる嫌悪の反応を示す 。
 池田が会長に就任していなかった約十年前、大石寺の大講堂が完成した際、時の首相が、大石寺を訪ねることになっていた。池田は一国の首相を迎えるにふさわしい礼を尽くすため、数千人の青年部員とともに、数時間待ちうけたが、ついに首相は来なかった。池田は、そこに権力者の倣慢をみて権力との対決を深く決意したという。
 学会内部の総務級の最高幹部にでも、一般会員に対して尊大ぶったり、不親切な態度をとることは絶対許さない。
 現在の文化会館ができる以前、古い本部のころ、最高幹部の一人が何かの用事で電話を長いこと待たしてたのを見とがめた池田は、「不親切だ」と叱りつけ、また二階の窓越しに道路にいた会員と話をしている幹部に、「相手に失礼だ」ときびしく注意した話を、目撃者からきいたこともある。
現在四十二年に文化会館が完成してから、最高幹部の執務室からおもな部屋がテレピに映し出される仕組みになった。あるとき池田がテレビの画面をみていると、一人の幹部と話している最高幹部の姿が映った。会話の途中その幹部は何度も頭を下げているのに、一方は身をそらしている。池田は早速、側の電話をとると、その最高幹部の態度をきびしく叱った 。最高幹部としても、うっかりできないわけである。

広宣流布の代表
 そういう池田自身は、人を見下すような態度をとったことはかつてない。肩書でなく、人間として接する姿勢である。内外を問わず、相手の社会的地位に関係なくきわめて礼儀正しい。私は各級の幹部、一般会員と会う池田を観察してきたが、むしろ下へ行くほど親切であり,気をつかっている様子がみえる。より身近なものに対してより,言薬づかいも丁寧である。
 「えらぶってはいけない。えらくみせようとすることもいけない。またえらぶらせてもいけない。謙虚でなければいけない」と池田はいう。だから池田に対する会員の気持は絶大な尊敬の気持だとしても、それがいわば神格化につながることに対しては、彼自身がきびしく戒めている。
 会員の質問に答える形の「指導集」のなかで「会長についていくには、どうすればよいか」といった質問がある。池田の答えを要約すればこうだ。
「全員が平等の立ち場で団結していくのが仏法の精神であり、正しい行き方である。私は広宣流布の達成を目指す代表に過ぎない。それは私を中心として団結していく意味であって、私自身を特別な、力ある人物と思いこんでは決してならない。むしろ迷惑だ。あなたも会長についていくなどといわずにその本源力たる御本尊(信仰の根本)につききっていきなさい
 池田が奄美大島に渡るため、鹿児島県指宿で一泊したときのことである。翌朝池田がホテルの庭にでると、近所に住んでいる十数人の学会員がそれを知り、集まってきた。思いもかけなかった心の師とのめくりあいに顔を輝かせていたが、この中に家族に手をひかれた目の悪い老人がいた。この老人が手を合わせて池田を拝むしぐさをするのをみた池田は、手を横に振り「おじいさん、ポクを拝んだりしては駄目です。拝むなら御本尊を拝みなさい」そういって合わせていた老人の手をほどいた。彼は老人の顔を両手の掌でさすりながら「二十一世紀まで生きるのですよ」と激励すると、最後にもう一度「僕を拝んだりしては邪道ですよ」と念を押した。

カリスマにあらず
 むろん一般学会員の感覚では、池田は限りない尊敬と親愛の対象である。決して拝むような感覚はない。だから、この老人のようなケースは例外的であり、池田と学会員の間に流れる明るい情景を見つづけてきた私には、まったく異質なものに映った。
 「カリスマ」という言葉がある。本来はカトリック用語で、神から与えられた超人的資質をいったものだというが、これが政治的には神格的支配を意味する用語として使われる。著名なある政治学者は、共同体における支配形態のひとつをカリスマ的支配とよんでいる。この形をとる共同体の場合、支配者は神聖な超人的能力の持ち主とみなされることで、神威的な支配権を保持する。そして、この資質が世襲的に伝わると考えるか、または一定の地位に与えられると考えるかによって、世襲カリスマと官職カリスマに分類している。
 実態的には支配者の超人的なイメージを保つため、一般民衆との直接的接触を避けることになるだろう。お互い、あたり前の人間どおしということになれば値打ちがない。そこで宮殿の奥深くめったに民衆の前などに出ず、人と会う場合もスダレ越しなどという手法が使われてきたのは、周知の通り。ローマ法王や、戦前の天皇などがこの概念に合まれよう。
 創価学会における会長池田について、一部には椰楡的な意味あるいは悪意をこめて「カリスマ的」とするむきもあるが、そうした指摘は形態上の定義からも、実態的にもあたっていないことは明らかだ。第一、池田は師であっても、権力者でもなければ、支配者でもない。

同志的結合の輪
 話はもどるが、池田は幹部に後輩を尊敬し、礼像正しく接するようきびしく指導する。「将来とも幹部が後輩たる部下の人たちに、威張ることのないように」配慮しているのである。これまでも幹部会などでしばしばその点にふれている。
 「後輩は決して自分の子分でもなければ目下でもない。後輩には真心をもってやさしく、親切に、自分よりも成長させていく考えでなければならない」
 本部幹部会へ向かう途中、会場付近で公明党議員を乗せた車が池田の前を走っていた。整理にあたっていた青年部員がお辞俵をしているのに、車内からそれに応えなかったのを池田は見た。池田はその日の講演ですぐこれをとりあげ、「幹部は陰の人ほど大事にかばって、全員上下の差別なく、平等に和気あいあいと進んでいくようでなければならない。そうでないと必ず行きづまる。同じ人間として誰に対しても丁寧であってほしい」と指尊している 。
 創価学会に、総務、副理事長から一般会員にいたるまで、さまざまな役職があるが、それは責任の度合いを示すものであって、権力の度合を示すものではない。軍隊や警察、一般官僚機構などのような、いわゆる階級社会ではない。同志的結合であるところに、軍隊も及ばない強固な団結が生まれるといってよいだろう。それには、傲慢は禁物である。池田が「後輩から嫌われたり、恐れられたりする幹部はもはや正しい幹部の姿ではない」と強調するゆえんもそこにあるのではないかと思う。

議員を叱る
 その意味で、池田は全学会員の献身的な支援によって送り出されている議員、とりわけ学会では最高首脳部の総務、副理事長職にある公明党国会議員への引き締めには徹底している。あるときの本部幹部会における指導(講演)では、「議員をエライと思ってはならない。議員は全民衆が使う公僕であり、議員は全国民に仕えるものだ。これを勘違いすると、公明党は権力主義に陥ってしまう。将来もこの精神は子孫末代まで伝えてほしい」と強調している。
 本来、当然のことであっても、政界の現状は必ずしもその通りでない。だが、公明党に関する限りこの精神を徹しさせようとする姿勢がある。とはいっても、学会内部でこれら議員は、役職の上でも、信心の上でも大先輩である。たとえ威張る傾向が出たとしても、一般会員の側からそれを責め、チェックするのは、実際問題むずかしいだろう。そこに池田の指導性が必要になるわけである。
 池田が大阪での幹部会に出席、宿舎の文化会館(大阪の本部)に引きあげた夜のことだ。会館に勤務する人たちのなか、三人の有力談員と、いずれも婦人部の最高幹部に属するその夫人たちの姿があった。それを認めた池田は、「議員になって、さも偉そうな顔をしていたら大間違いだ。一文のとくにもならないのに、みんなが手弁当で一生懸命働いてくれたお陰ではないか。みなさんのことを思ってうんと政治を勉強してくれ」と手きびしく叱りつけた。
 戸田の訓練もかくやと思われるほどであった。もちろん、この時、議員たちが何もえらそうな顔をしていたわけではない。当時池田は、議員が自主的にやっていくよう訓練の意味で会うのを避けていた時期だった。それだけに議員たちは池田の前に顔を出せば、叱られるのはもとより覚悟の上という表情だった。
 その場面だけみれば、一見、無茶な叱り方のようではある。だが、将来とも議員が陰の人たち(一般会員)の存在を忘れ、慢心を起こさないよう今から芽を摘み取るどころか、タネのうちにクワをふるう指導なのである。ここに池田式指導法の特質がみられる。
 池田周辺からきいた話だが最高幹部の一人が、やはり何かで池田に叱られた。本人はなぜかわからず首をかしげたが「将来そうならないために今、叱っておくのだ」といわれて一言もなかったという。
 大阪での後、池田は別室で私にこういった。
「あれでいいんです。私がいわなければ、他にいう人がいないんだから。バランスがとれるわけです」
 この言葉を私は「こうしてこそ、後輩の人たちが安心して先輩についていけるのだ」との意味にうけ取った。二,三日後、東京で会ったその時の議員の一人は「いやー、先生にまた叱られました。でも、それで、元気が出るんです。先生に会っていないと力がでませんよ」ともらしたものである。お互いに大の大人どうし、一般社会の上下関係なら反発をよぶか、面従腹背になるところだ。池田の叱責の真意がみんなのため、そして何より本人のためを思ってくれているとの信頼がこうした指導を可能にしているのに違いない。