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体験(1)母の逝去と永遠の生命

去る11月9日に母が100歳で逝去しました。認知症なし,病気無し,食事もトイレも,亡くなる前日まで一人で出来ました。5日はデイケアセンターで(おもちゃの)射撃をしたそうで,6日に会った時は,冗談まで言って高笑いをしていました。(冗談を言う100歳とは,何たる生き物!)

母「あたしゃあ,幾つになっただか」
私「100歳だよ,お母さん」
母「えっ!100歳!そんなに生きただかしん」(静岡の田舎の言葉)「一遍も病気をしたことがない。薬を飲んだこともない」
私「行いが良いものですから」
母「ハハハ,そうだね」

100歳でも褒められれば嬉しいものです。6日はたくさん褒めてあげました。一緒に昼食をとり,昔話に花が咲きましたが,帰る時,とてもきれいな顔で見送りをしてくれて,「この顔で臨終を迎えるのだな」と感じました。名残惜しそうにしているので「また来るからね」とは言ったものの,次に会うのは葬儀だろうと直感しました。しかし,それから3日後に亡くなるとは思いませんでした。

「あたしは医者にかかったことがない」のが母の自慢でしたが,9日の午後2時に病院へ運ばれ,10時半に息を引き取ったので,本当に一生の間に入院したのは,わずか8時間。
亡くなる直前まで意識があり,看護師さんに「ありがとう,ありがとう」と言っていたそうな。母らしい最期でした。

学歴も学問もなく,顕彰されることのない人生でしたが,100歳のお祝いを国や自治体からしてもらい「生きてるだけで表彰されるとは,有り難いねえ」と大喜び。
創価学会から追い出されたり,自分から出てみたり,いろいろありましたが,母の生き方は法華経であり,不軽菩薩でした。

デイケアセンターのスタッフの方が三人,お通夜の晩,母の200枚もの写真を日付を入れてアルバムに編集して持ってきて下さいました。わずか2日間で,業務終了後にこのような作業をして下さったのかと思うと,本当に有り難い。お焼香の後,長時間,「かっちゃんが,かっちゃんが」と楽しそうに母のことを話してくれて,センターでも愛されていたのだなとわかりました(名前がかつ江でした)。誰の目にも涙はなく,終始笑顔で母のことを語ってくれました。これも母らしいお通夜です。100歳にしては,顔にしわやシミがなく,銀髪が豊かにふさふさしており,弔問客が驚いていました。

通夜の晩は,私と母と二人きりで過ごすことができ,大きな声で心ゆくまで題目があげられました。「今世は私のお母さんになってくれて,有難うございました。次は,親子か友だちかわからないけれど,御縁がありましたら,また会いましょう」と声をかけました。

13日に葬儀を終えましたが,朝,目が覚めると,私は何とも言えない幸福感に包まれているのを感じます。親が死んで幸福感というのも変な話なのだけれども,本当にそうなのだから,仕方ありません。周囲は「お辛いでしょう」と,言ってくれますが,私は秋晴れの空のような心境としか言いようがないのです。

母が私に最後の遺した言葉は「まだ,もうちょっと生きるよ」でした。ある方が,「それはお母さんが生きていることが楽しいという意味だわね」と仰いましたが,本当にそうだと思います。父は,もうずいぶん前に亡くなりましたが,最後に大きな声で題目を唱え「だいじょうぶ,だいじょうぶ」というのが,父が私に遺した最後の言葉でした。

これで,私の両親に対する果たすべき役目は完了。しかし,これから確実に師との今世における別れが来ます。そして自分の死も来ます。先生は,かつて職員たちに「僕が死んだらね,後は自分の福運だけで生きていけ」と仰いました。

私にはもはや物理的,経済的,精神的,物質的に束縛するものは1つもありません。
もう何年も前から,たった1つのことだけを祈っています。
それは「弟子の人生を全うさせてください」これだけです。