第3話感想。又吉直樹は「寵愛」されていた。

第3話も、スパークスは戦っていた。小説「火花」の中ではスパークスのコンビの活動はある種「陰」の部分にあたるともいえるためあまり鮮明な描写はないが、当たり前に10年間のある芸人の生活を追っているのだから、神とあがめる先輩との時間以外も、このドラマ版ではしっかりと描かれている。

オーディションはけんもほろろに落選する。事務所の忘年会がその年最後の仕事。やけになった相方は酒に酔いハメを外すし、家族からの電話には嘘をつくことしかできない。一人で夜道つぶやきながら歩けば職務質問を受けてしまい、そのまま年を越す。

どん底である。この上ないやるせなさ虚しさの、終わりが一向に見えない、ひとつの希望もない。

彼が書く自身の随筆ではいつも、真っ暗闇の中でひたすらもがいている自分を振り返っている。食えない時代。それを読むだけだと、湿った畳の敷かれたアパートの中で、ひたすらにひざを抱えながら本を読んで、ネタをしたためてしかいなかった日々を想像する。

でも、現実の又吉くんはそれでも、十分にみんなに愛されていた。というか、「寵愛を受けていた」という表現の方が適しているような、特別扱いをされていた。

インパルスの板倉さんも、チャイルドマシーンの2人も、カリカの家城さんも。みんな「又吉は特別。」と、していた。たくさんの先輩と舞台に立つ又吉くんはいつも、なにかを免除され、確実に笑ってもらえるような位置に鎮座させられているようだった。

「又吉につまらないことをさせてはいけないし、又吉のおもしろさはみんなが守る」

かっこよく書くと、こんな感じかしら。

とても大切にされていたの。あの光景、すごく大好きだった。

誰かを振り返るとき、「あいつは愛されていた」と評されることは多いけれど、もっとこう、なんていうか。やっぱり「寵愛」なんだよな。先輩もみんな、可愛がりながらも絶対、畏怖があった。

彼が、暗闇のように振り返るそれらの時代も、みんながそうやって彼を守ってくれていたから、その暗闇の吸いこまれないで済んでいたような気がする。

もちろん、神谷さんのモチーフになっている、橋本さんもそうであったと思う。

今日、「火花」がたくさんの読者に届いているのは、そうしたことのおかげでもあると私は思っていて、なので、ここに残しておきたい。

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