2003年の8月31日に消えた漫才師。

又吉直樹さん原作小説「火花」の芥川賞受賞と、Netflixでのドラマ化によせて、又吉さんの15年来のファンの私が思い出話を交えながらドラマ「火花」について記録しているこのnote。

1話ごとに更新していたらなかなか進まずたいへんな牛歩更新になっているのですが、本日8月31日は又吉さんが以前組んでいたコンビであり、

火花に出てくるスパークスの(おそらくほぼメインの)モチーフである「線香花火」が解散した日のため、ドラマの話数としては随分すっ飛ぶのですが、解散のときのことについて書いていこうと思います。

2003年8月26日、ルミネtheよしもとの舞台で、線香花火は「8月いっぱいで」解散すると発表した。

解散を発表する数カ月前から、「線香花火、解散するってよ」とよくインターネット掲示板に書かれるようになっていた。

それでも、彼らには引き続き大きな舞台は用意されていて、先輩がたくさんでるライブのMCを務めたり、単独ライブも解散の半年前までやっていた。

そのころにはなんとなく、そうしようと決めていたという話を後から聞いたりもしたけど、最後に観た単独ライブはやっぱりすごかったし、あまり信じたくなかったな。

あの頃の日記を読み返すと、解散前のライブに殆んど全部足を運んでいたようなのだけれど、毎回同じネタをずっとやっていたと書いてあって、「あのネタ好きなんだなぁって思ってた」とか、随分と呑気だった。

もう、コンビに新しいネタを作る体力がなかったのだろう。

最後舞台となったのは、ルミネTHEよしもとのライブだった。

若手芸人がバトル形式で対決するライブで、相手は同期のピン芸人、綾部祐二だった。

勝負は線香花火が征した。

客席から本当に、安堵の声が漏れた。あの感じ、すごかった。200人余りが、安堵でひとつになっていた。

それを客席から見る又吉さんが少し笑っていた。

そんなことをしてくれても、変わらへんのにと言われているような感じもしたし、

ありがとうございました、というような感じもした。

思い返せば「火花」の中に似たような表現があった。

―誰かには届いていたのだ。少なくとも、誰かにとって、僕たちは漫才師だったのだ

あの日は、線香花火を観に足を運んだ劇場でよくみかけたお客さんたちがたくさん集まっていた。

通い続ければファン同士も顔は覚える。あの人も、あの子もいるな。一つの「噂」が「嘘」であることを確かめるために来ていた。

エンディング「告知ある人」のMCの声に、青年2人はだらっと手をあげた。

あんな瞬間を、20代前半の若者が背負っていたのか。と、歳をとってきた今は思う。

辞める勇気、歩むことを止める勇気がどんなに並々ならぬエネルギーを必要とするのかと。

「僕たち線香花火は8月いっぱいで解散します」

と、だけいった。客席からは悲鳴のようなものも聞こえていた。

私も女子高生らしく、「わぁぁっ」と、顔を覆って泣いた記憶がある。

ネットの掲示板は、まさに、線香花火の大きな火種がぼとんと落ちて消えてしまう直前のように、ぶわぁっと燃えた。色んな意見があった。

「原が大阪帰るんでしょ。」

「面白かったのに残念」

「又吉は次の相方決まってるらしい」

「今ある仕事はやるっていってたけど、秋の文化祭の出演はどうなってる?」

「やる気ないなら仕方ない」

飛び散る言葉の火花を、当事者のファンは浴びて受け止めるしかなかった。

2003年8月31日。さまざまな掲示板でお客さんが「線香花火をしています」と報告していた。

私も自宅のバルコニーの床を燃えカスで汚した。MDでくるりとナンバーガールを聴いた。泣けた。

その時から13年経った。あの頃よりも時間はない。たくさんの物語や音楽や恋を知った。

今もお笑いが好きで、今の芸人さんの多様性を楽しみ、単独ライブのときに寄せ書きや花を贈るお客さんの風習に感嘆する。

私が通っていた時には、そうしたことが容易にできるツールもあまりなかったし、ポップさもなかったのかもしれない。

もっとそんな風に応援できいれば、届いたのか?「少なくとも誰かにとって僕たちは漫才師だった」なんて、言わせないで済んだのか?

でも、

―生きている限りバッドエンドはない

それは又吉くん自身が何よりも示してくれた。

13年前のあの時、大袈裟でもなく世界が終わったとちょっと思ってしまった。

それでもゆっくり時間をかけて、彼は彼自身を再構築させていった。お笑いの賞レースで勝ち残り全国に顔を売って、そして、芥川賞まで獲ってしまった。

時を止めたり同じことを繰り返したり過去を振り返ったりするより変化する方がいいかもしれないな、と、思わせてくれた。

いつの間にか、8月31日に線香花火をするのもやめていた。なんかその方がいいような気がしたからだ。

まだ線香花火だった頃の又吉くんがよく口にしていた言葉がある。

―永遠に続くものほど、退屈なものはない

解散したころには、どうして線香花火はなくなったんだ、なんで解散なんてしたんだと、ずっと、思っていた。

でも、もしかすると、まぁ、多分違うけど、続いていくことが、退屈なだけだったのかもしれない。

もう、13年も経ってしまったので、そういう結論でもいいかもしれない。

いつの間にか線香花火をするのはやめたと書いた、過去を振り返るのはやめようと。

でも、このほど、思いっきり過去を思い出させる「火花」という作品がこの世に生まれ、やっぱりそうなるとどんどん思い出がよみがえるから久しぶりにやってみてもいいかもしれないなぁ。

退屈だと思ったら、またやめればいいのだし。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?