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漫才コンビ「スパークス」と「ピース又吉」を結んで、『火花』を紐解く。

現在お笑いコンビピースのボケとして活躍する又吉さん。昨年発表した小説「火花」が芥川賞を受賞したことはあまりにも有名。今でこそテレビを中心に大活躍の彼ですが、ピース結成前、食えない時代を過ごした頃の相方は中学の同級生の原偉大さんでした。彼らは漫才コンビ「線香花火」として2000年~2003年にかけて活動。原さんの引退に伴い、コンビは解散しました。

『火花』の主人公のモチーフは又吉さん本人であることから、小説の端々には、その「線香花火」を想起させるシーンも多く登場します。

私は線香花火~ピースの活動を15年に渡り応援しているいちファンです。こんなに長く応援し続けられるのはとかく、又吉さんの文章に心酔しているからというのは大きいと思います。

世の中の多くの人に知られないまま活動を終えた「線香花火」が、10年以上の歳月を経て、活字の中で少しだけ蘇り、NETFLIXで驚くほど鮮やかに描いてもらったことにとてつもなく感激しています。

私は漫才師の「線香花火」が大好きでした。

はじめてネタを見たのは2001年で、コンビが2003年に解散してしまったので2年弱しか応援できなかったけれど、それ以来10数年、ずっと自分の中の理想の漫才師像は彼らで止まっています。

今も劇場に足を運ぶのは、あの時の衝撃やあの頃のようにのめりこめる漫才師がまたきっと現れる、現れてほしいという願いからかもしれないと思うこともたまにあります。


2001年の線香花火は、デビュー2年目にして、出来たばかりのマスに向けた劇場「新宿ルミネTHEよしもと」の夜公演に出演する実力派のコンビでした。

東京NSC5期生の出世頭といえば彼らで、関西の同期にはキングコングがいたけれど、劇場を中心に活動する彼らは身近に感じられる存在ながら手が届かないほどにはカリスマ性があって、14歳の自分が「神」とか崇めてしまうには素晴らしすぎるコンテンツが満載でした。笑

2000年代前半、あの頃の若手吉本は、劇場を持たない分自由度の高いエッジの効いたネタをするコンビがボロボロといつつも、奇をてらわない正統派漫才師できちんとおもしろかったコンビは案外に多くなく、線香花火の年齢に反して妙に落ち着いた口調や、どうでもいいことが小難しく聞こえるような又吉さんの語りとキャラクターに、どこまでも明るいイマドキのお兄ちゃんみたいな原さんがさわやかにつっこむスタイルは、「火花」で描かれるスパークスと(あえて)比べたとしても、(スパークス以上に)とてもキャッチーでした。

実際線香花火にはテレビのレギュラー番組もあったし、深夜のネタ番組でもたくさん見ることができていました。ライブにも良く出ていたし、ファンサイト(時代だね!)もいくつもあって、そのどれもセンスが良かったのがまた、中学生の私にとってはなぜか誇らしかったことを記憶しています。

「火花」で描かれているスパークスは、たしかに「線香花火」であり、ある部分では「ピース」であることも間違いないのだろうけど、小説はやはり小説で、でもフィクションの名を借りているからこそ、又吉さんが今まで語らなかった“あの頃”のことも書き出してくれているのかもしれないなと思って、やっぱり読みながら、見ながら、若い2人に重ねて涙してしまいます。

第二話で、まだ、20代前半の2人が山下とその彼女と3人で鍋を囲むシーンで山下が彼女をいなす

「これは、「とくちゃん」と「まーくん」会話やなくて、「スパークス」のことなんやからな!」

というセリフ。

私が出会った線香花火はすでにかなり“コンビ然“としていたから、からこそ、ここで描かれていたスパークスは、知らない彼らの姿を見せてもらっているようでとてもぐっときました。

たっちゃんとまったん。中学の同級生だった彼らは中学2年で同じクラスになって、新学期の初日に出会い、クリスマス会で漫才を披露する。単独ライブで聞いたエピソードは今でも思い出せて、それで、そういうのを思いつく限り書き出そうと、思ってこの文章を書くことに決めたのでした。

それで、私ももはや黒歴史という言葉でしか言いようのない、htmlを一生懸命切り張りして作ったHPの単独ライブリポートや当時の日記を残っている限りひっぱりだして、火花の感想と共にご紹介していけたらと思っております。

私の拙い火花の感想はさておき、もしも、又吉さんが好きだとか、ピースが好きだとか、若手お笑い芸人が今好きだとかいう方が読んでくださったら、ちょっとは「そうだったんだ~」って思ってもらえるかもしれないと信じて、やってみようと思います。

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