後編「2ヶ月半の無職生活、金久保バイトするってよ」無職になった今できること。
前回の「はい、金久保無職になってました」を思いの外多くの方に読んでいただきありがとうございました。感謝しています。まだ見てない方はよければ。
表記は有料記事となっていますが、今回もほぼほぼ全文無料なのでお時間ある方は是非。
最後の有料部分はお気になさらず。我こそは金久保ファンだという方は是非。
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正直、この2ヶ月半は生きた心地がしませんでした。この期間無職になっていたということよりも、プロバスケットボール選手ではなくなったという現実。事実。リアル。そして何が1番きつかったかって、下記に詳細は書きますが、アルバイト先ではプロ選手ですと紹介して頂く度に「つい2週間前まではそうだったんです」決して口には出さずにニコニコして誤魔化してました。ありがたいことにクリニックもさせていただき「プロ選手によるバスケットボールクリニック!」まてまて「今は一般人です」って心の中で呟いてました。喪失感というか、金久保今けっこうやばいんじゃね。人生において貴重な体験してるなーとスーパーポジティブに捉えてましたけど。今の金久保のステータス、無職、実家住まい、この2点セットが揃ったらもう言うまでもない。
はいはい誰得な話はここまでに。
とは言うものの、ワークアウトにトレーニングなど今自分にできることをやりながら、次の訪れるかわからないシーズンに向けて準備はしていました。
翁長さん、いつもサポートしていただきありがとうございます。皆さん是非是非ABROZ GYMに行ってみてください。僕はここを夢の国と呼んでます。
前置きが長くなってしまったので、そろそろ。
そんな雨にも負けず風にも負けずとはこのことかバリの2ヶ月半についてお話ししていきたいと思います。
人間という地球上の生物として、人として成長できた2ヶ月半
実家に帰ってきたものの、変わらずトレーニングはしていたし自分なりに次のシーズンに向けて準備をしていました。
こんな事言うと皆さんに怒られてしまうかもしれませんが
実家では母親の美味しいご飯は食べれるし、洗濯物も家族のところに一緒にいれておけば洗濯もしてくれる。ボディソープがなくなったら詰め替えてくれるので、香川で一人暮らしをしていた頃に比べると、バスケをしていない時の時間が多くなり、自由に使える時間が増えました。お母さんありがとう。金久保感謝してる場合ではないぞ。よくないよくない。
これでは良くないと(遅いよ金久保ボディソープのくだりあたりで気づいて)、母が食事を作れない日は代わりに食事を作ったり、洗濯回して干して取り込んだり、弟をクラブチームの練習へ送って行ったり少しは手伝いはしてました。少しですけど。いいぞ金久保満足するな。ただ、それでもフリーの時間はたくさんありました。
そこで、たまたま知り合いの方からデイサービスのアルバイトを勧められ、次シーズンに向けて準備はしていたものの、正直な所なかなか移籍先が決まらずさあどうしようか。と思っていたところだったので、今しかできない事は何か?と考え、この際あまりやったことのないアルバイトをやってみようと思い働かせていただくことにしました。
"デイサービスもと"
約2ヶ月間"デイサービスもと"という
埼玉県の戸田市にあるデイサービス施設で働かせていただきました。
「デイサービスもと」 詳細
僕自身もデイサービスという所が、どうゆう場所なのかあまり知らなかったのですが
簡単に説明すると、介護の必要な方やお年寄りが集まり、スタッフの方が付き添って食事や入浴、体操、リハビリに加え皆んなで演奏を聞いたり歌を歌ったり、カレンダーを作成したりと様々なレクリエーションを通して楽しく1日を過ごす施設。といったところです。
僕の仕事というと
朝は利用者さんの自宅に車で迎えに行き、デイサービスまで送り届けてから、日中はデイサービスで利用者さんと一緒に体操したり、トイレに連れて行ったり、食事を作ったり、お喋りしたり仕事というよりかは、自分のおじいちゃんおばあちゃんのお世話をしている感覚でした。
プロバスケ選手の金久保翔ではなく、"介護スタッフの翔くん"として仕事をした2ヶ月間
この2ヶ月は最初にもお話しましたが、"プロ選手"ではなくなり、"デイサービスの一介護スタッフ"として、仕事をさせていただきその対価としてお給料をいただいていました。何事も当たり前ですがお金を稼ぐということは大変です。が、これまでバスケットしかしてこなかった僕ですが、初めてバスケット以外の仕事にやりがいを感じたのが、このデイサービスでした。これには自分も驚きました。
トイレに連れて行く時、食事を運んできた時、お茶を注いであげた時、何に対しても利用者さんから「ありがとう」と言っていただきました。些細な事ですが人から感謝される、ということがこんなにも自分がやりがいを感じるんだなとこの時初めて実感しました。
中には若年性アルツハイマーになってしまった女性の利用者の方がいました。3分置きに同じ話を何度も何度も僕に話してくれました。決まって話の内容は息子さん。「私の息子も186cmあるの」僕の身長が高いのを見ていつもこう話しかけてくれます。「なにかやってらっしゃったんですか?」決まって僕はこう返す。「消防士なの」そう答える表情には満遍の笑み。息子さんは30歳ほどですが、母にとって子供は何歳になっても子であり宝である。そう教えてくれた気がします。それと同時にだんだんこの方ともっと話をしたいと思うようになり、こうゆうのもやりがいを感じていた部分だったのかもしれません。
97歳の彼女ができました。
デイサービスもとには、最高齢で98歳の方がいました。
ある日、「今日はお誕生日の方がいます!」スタッフさんがそう言うと、ほとんどの利用者の方は察しがついているようだ。僕には誰が誕生日なのかさっぱり。1人の男性が立ち上がり花束を受け取る。あぁこの方が誕生日だったのか、おめでとうございます。みんなでバースデーソングを歌いプチ誕生日会。「何歳になったの?」と問いかけると「98になりました。」まてまて、この方自分で歩けるし頭もしっかりしてる。耳は少し遠いいけれど何も問題ない。花束片手にハイチーズ。その写真を自分の携帯電話の待ち受けにしてもらい嬉しそう。是非若さの秘訣を教えてほしい。
そしてもう1人、97歳の彼女ができました。
レクリエーションの時間。みんなで脳トレの一環として間違い探しをしてました。なかなか間違いを見つけられず困っているようなので一緒に間違いを探していました。別の日も、また違う脳トレでなかなか手が進んでいなかったので一緒に考えてあげながら作業をして行くにうちに、次第に色んな話をするようになりました。気づけばレクリエーションの時間、自然とその方の横に座ってる自分がいました。あと70年早かったら、、。なんて冗談ですが。ここで初めてお年寄りの事をかわいいな。って素直に感じました。デイサービスで長く働いてる方は皆、おじいちゃんおばあちゃんが可愛いって話しをしてたんです。初め僕にはその感情は分かりませんでした。が、今は分かる。可愛い。今まで自分にはなかった感情が芽生えてなんか俺成長してる?って嬉しくなりました。
女性って何歳になっても女性なんだなって感じました。
写真を撮る時「もっと綺麗にしてくればよかった」って。
金沢に行くことが決まっていたので、今日で来るのが最後と伝えると「試合観に行くね」と。忘れないで覚えててくれるだろうか。けど嬉しかった。
成長しかない2ヶ月半
何を書こうも、"デイサービスもと"で働かせていただいた所長初め、スタッフの皆様には感謝しかありません。
初めは人員が足りないとのことで始めさせていただいたアルバイト、でしたが。2ヶ月という短い期間でしたが今となれば自分を一回りも二回りも成長させてくれた、アルバイト先。ではなく。Place。場所です。
これがバスケットに生きるか?と言われたら。
んー、より気遣いはできるようになったから敵味方関係なく相手が何を考えているか。は少しは分かるようになったんじゃないかなと。
けれど、人として。一人間として。これから生きて行く上で大切になるであろう何かを見つけられた気がします。
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