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トイレアレコレ・9 個室籠城-4(完結

携帯電話も持たないウン十年前、初海外で、ベトナム一人旅を決行したわたし。
帰国の日の体調急変にトイレからトイレへと渡り歩きながら、なんとか機上のトイレ人となり、そこで告げられた「食中毒だね」。
そうだったのか…。
とはいえ、元凶を考えるよりも、今の体調との戦いで一杯いっぱいであった。

前回 トイレアレコレ・8↓


何時間トイレに籠っていたのか、その時も分からなかったし、今ももちろんわからない。

しかし、席に戻れそうという確信を得て、一度トイレから出ることにした。
するとスチュワーデスさんが、温かい緑茶をもってきてくれたのだ。
ティーバックで出された明るいグリーンも美しく、啜れば馴染む日本の味。
はあ~、なんとかここまできたと戦士の休息状態。
何時間か後には、日本にいることは確かで、そのことに安心する余裕が出てきた。

席に戻ると、機内はすっかりお休みモードで、隣のカップルもぐっすり。
わたしも、軽く眠ったと思うがどの程度だったかも覚えていない。
また、途中もトイレに立つことはあったと思うが、空港到着までの記憶はほぼ、ない。
疲れ切っていたことだけは確かだ。

やがて、関西空港に到着した。
飛行機から降りる時、お世話になったスチュワーデスさんたちにお礼を言いつつ、出口へ向かった。
そのとき、一人のスチュワーデスさんから笑顔で、
You look better!
と言われて、そうか…と思ったことはよく覚えている。

そして、空港での手続き。
下痢をしていたので、検疫も受けることになった。
コレラとかヤバいものだったらどうしようと、多少思わなくもなかった。
それから、早朝6時台か?関空の公衆電話で、旅行後はじめて家に電話した。(わたしは実家暮らしで、携帯電話はなかった)。

母が出て、わたしは、「食中毒みたいで、体調が大変だ」とか話したと思うけど、ああそう、程度の反応で、心配しないんか?!って気持ちと、ま、それはそれで気楽、って感じもあったかな。
その後、乗り換えて羽田空港に向かったわけだが、その辺りも記憶が曖昧だ。荷物って一旦受け取ったのかなあ。そのまま羽田まで運ばれたのか…。わからん。
ただ、羽田への飛行機は、朝早くて空いていて、窓際の席で寝てたと思う。

そして、羽田に到着。
そのあたりから、また覚えていることがでてくるのだ。
まず、荷物受取場に向かう途中にあるトイレに行ったところ、そこから暫く動けなくなった。(そのころは、嘔吐は終わっていたと思う)

関空に着いてからここまで、わりと安定していて、もういいんかなと思うくらいだったが、甘かった。
まだこんなに出るんだって感じだった。
感覚的には1時間くらい居たんじゃないだろうか。
自宅までまだあるから、出るものは出しておきたいというのもあった。

ここのトイレも使う人は少ないらしく、(普通は荷物を受け取ってからトイレだろうし)、私一人、静かな時間だった。
そして、いいかげん荷物も引き取らんとやばいんかなと思って個室をでて洗面台に立った時、コトが起きて以降、はじめてまじまじと自分の顔を鏡で見た。
そして、愕然とした。

そこには、げっそりとこけた、ドス黒い顏があった。
黒いというか、グレー? 油粘土みたいな色
ひょ~。
これで「better」?!(byスチュワーデスさん)。

あまりにひどいんで、なんとかならないかと、顔を洗ったが変化なし。(だよね)

諦めて、荷物の回収にいくと、だだっぴろく白々とした受取場には、誰もおらず、回転コンベヤーが静かに並んいた。
そして、そこにわたしの足音だけが響き、なんだかSF映画みたいでちょっと怖かった。

とにかく荷物を探すが、コンベヤーが回っていないのはもちろん、コンベヤーに残っている荷物もない。
うっそ。
どうすればいいんだとキョロキョロすると、少し離れた柱のところに荷物らしきものがあるのを発見。
あれかなと近づいて、無事に再会を果たすことができた。

そこからのことは、ざっくりと。
まず、3月とかだったので、コートなどを出して着るものを整えた。
それから、財布やハンカチ、チリ紙、エチケット袋変わりのビニール袋などの必要最低限のもの以外は、リュックサックも含めボストンバッグに詰めた。
財布などは、旅行用品を小分けにしていた、小さな布巾着を利用することに。
そしてボストンバッグは自宅に郵送手続きを取った。

巾着を子供のお使いみたいに手首から提げたわたし(笑)。自宅へは電車で約二時間。
途中の駅でトイレは行ったかもだが、長時間滞在はなく、自宅最寄駅からはタクシーを使って、誰もいない自宅へと戻った。
着いた、着いたよ~ってホッとしても、お帰りを言ってくれる人もなく。

その後も何日も下痢は続いたし、検疫の結果が出るまでは、念のため家族とタオルを別にした。
気が急いて、早めに出ているかもと、何度も検疫結果の電話番号に連絡して、まだですと言われた(笑)。(もちろんコレラとかではなかった)


そして、今回の食中毒の原因だが、おそらく、最終日スーパーで買った、その場で作ってくれるフランスパンのサンドイッチと思われた。

実は、前回書いた「地球の歩き方」には、サラダの生野菜にも気を付けろ、なぜなら水道水で洗っているから、ともあったのだ。

サンドイッチの中身は今は覚えていないが、おいしかった!のは確か。
そして、多くはないが、生野菜が挟まれていたのは覚えている。

でも、まさかあの量で食中毒になるんかという感じだった。
しかし、食べてから2~3時間後に発症というのも、タイミング的にビンゴだし、原因としては確定だった。

こうしてわたしのベトナム一人旅は終わった。

すべての出来事が独り占めの一人旅のだいご味は、色々な場面で味わったが、やっぱり最後にもってかれた感は否めない。

ホテルのパンフと一緒に残しておいたお札がでできた。
現地では、お札のバッチさにも少し退いた。ボロボロなうえ、なんか「しっとり」してて…。
あ、写真の2000ドンは、きれいだな。
通貨ドンと円のレートのせいで、買い物中、安いのか高いのか分からなくなったものだ(笑)。
調べてみたら2000年初頭に100円=13万ドンである。上の1000ドン札は、1円以下だ。
400円が39万ドン。現在は更なるドン安で、100円=17万ドンらしい。


もう一つのベトナムトイレ話↓


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