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「遠い声をさがして」

「遠い声をさがして 学校事故をめぐる<同行者>たちの記録」


今年読んだ本で、一番印象に残ると思った本。

夏休みのプール教室で亡くなった小学一年生の女の子をめぐるノンフィクション。

ご両親は、一人娘のさいごの状況を少しでも知りたいとの思いを、学校や教育委員会にぶつけるが、個人が組織と対峙することの難しさを突き付けられる。

そのなかで、周りの人との縁や、協力で、自分たちで実証実験をするに至る。

著者が、亡くなった羽菜ちゃんと同じ学校に通う子供を持つ人類学者のかた。
この立ち位置が絶妙で、この本が感情に訴えるだけじゃなく、データの提示などで、客観的にどうすればよかったのかという部分もわかりやすく書かれたものになっていて、秀逸だった。
<同行者>という言葉、しっくりきます。


一人娘を突然なくすという、張り裂けそうな事態。
読んでいても苦しい。
ご両親が、亡くなった羽菜ちゃんにできる親の務めとして、最後を明らかにしてあげたいと思う気持ち。それによって、「羽菜(ちゃん)の人生を最後まで守り抜きたい」という気持ち。

一方で、起きてしまったこととして、今後どうするかという部分に重きをおく学校や市教育委員会側。

ご両親らの奔走で、やっと第三者委員会の設置にこぎつけたものの、何のための調査なのか、そのクオリティも、目的も、ご両親にとって納得できないまま終了となってしまう。

その結果、ご両親らで自主検証をする展開となるのだ。

この本には、事故当日現場で対応した先生をはじめ、様々な人たちのインタビューや、やりとりが書かれている。
とても生々しい。

だからそれぞれの立場の言葉が、リアルに迫ってきて、自分も当事者みたいな錯覚を起こしそうになった。
そして、自分なら、この場面でどんなことを言えるのか?
どんなふうに、ふるまうべきなのか?
そんなことを時折考えた。

それから第三者委員会という、教育絡みで言えば、いじめのニュースなどでも聞く組織。
「完全独立の調査のプロ集団」だと思っていました。徹底してると思ってました。想像と違いました。(他の件はどうなのか、わかりませんが)

データ解析できる方が、自主検証に加わることになり、本来、調査検証がどう行われるべきだったのか、少ないデータから推測するため、それを補完するための他のデータの話、叩き台がしっかりしてない検証に正確性はないというのが、わたしにも、よくわかった次第です。

羽菜ちゃんのご両親の行動や、気持ちの動きにも、胸がいっぱいになった。


子供を思う気持ちに果ては、なく、その思いは、時間も場所も超えて、その元に届いていると信じている。



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いいも悪いも集まって、人生は出来ている。


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