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「エルメスのスカーフをダースで!?」

ハイブランドのハイプライスとステータス

※大見出しの由来は最後に…※

東京都現代美術館で開催されているディオール展を見に行ったことは記事に書いた。



ディオール展で思ったのは、ディオールに限らず世に知られているハイブランドには歴史や美学があり、職人技があり人の物語があるということ。
わたしを含む多くの人の感情に訴えるものがあるからこそ、時間の中に埋もれていくことなく残り、アートとして展覧会まで開かれる。

しかしながら、その素晴らしさがプライスに反映されたものを見ると、また別の意味を持ってくる。
特にバッグ…。
アートと違って一点ものではないし、大量生産ではないが世界が市場なだけに希少というほどでもない現行品。
もちろん、好みはあれどデザイン、素材がよいことは前提で、優秀な人材も必要であろうが、バッグ一つ200万円の内訳とか純粋に興味がある。

プライスレスな部分がプライスにガツンと反映されても成り立つのがハイブランドで、かつハイプライス自体が持つ人のステータスに繋がるから、安くては意味がないのもあろう。


持つ人を選ぶともいえるけど、一方今やお金を出せば、インターネットでだれでも買えるステータスともいえる。


学生時代にフジテレビ深夜の「FONFIX」が大好きで、今もNHK「72時間」(ともにドキュメンタリー番組)を見ちゃうわたしとしては、自力でも自力じゃなくても、ウン百万円のバッグを手に入れる人の背景にそそられるが

さて、わたし自身、もっと若いころは、小物一つでもいいからブランド製品を持つと味わえる気持ち(高揚感とか箔とか)があるかもと、うっすら思ったこともある。

しかし、そもそもハイブランドが必要となる付き合いもないし(似た価値感・環境の人との付き合いに絞られていくものだ)、あまり物欲がないので、手に入れること自体を喜ぶタイプではない。


それに、今思うのは、一目見て「○○のだ」とわかるものや、一つだけ分不相応なものを持たなくてもいいかなと。
素敵な品でも私が持つと偽物だと思われそうだし…ってことだ。

縁がないってこういうことだろう。

とはいえ、ものへの拘りはあるので、なんでもいいわけじゃない。
色、形、デザイン、使い勝手と、自分のイメージがあるので、近いものが欲しくなる(そして、お金を出せば手に入るわけでもない)。
なんなら、自分で作る場合もある。

見合う経済状況があり、欲しいものと合致すれば、それもご縁で、何十万円のバッグも、何百万円の時計も買うだろうが(→そうか?!)、今が不満なわけでもなく。

いずれにしても、プライスで表せない価値は、なんにでもある。
高かろうが、安かろうが、手に入ろうが、入らなかろうが、素敵だな美しいなと思える気持ちは大事にしたいし、どんなことでも、自分で納得できてることが、一番強いと思う。


さて今回の記事の題名「エルメスのスカーフをダースで?!」なのだが、昭和の小学生だった私の愛読書「悪魔(デイモス)の花嫁」(全17巻)というマンガ(人間の醜さ、業を感じさせる基本一話完結もの)からの引用だ。

スカーフの試着をしたお金持ちの若い女性が、店員さんに「ダースで(いただくわ)」。
それを聞いた店員さんが思わず言うのが「エルメスのスカーフをダースで?!」。
(その後、店員さんが高額になりますがとか聞いて、女性が茶目っ気のある笑顔で、構わないわとか言う)

最初に読んだときはエルメスが何かも知らなかったが、スカーフという(高額)小物をダース単位で買うお金持ちのスケール感が妙にリアル、かつ、いささか理解不能で、えらく印象に残っていたのだ。

その後、高級ブランドの象徴としての「エルメスのスカーフ」(→ちょい古いイメージ?)があると知り、ははあと納得した。
しかしながら、同じスカーフ12枚も買ってどうすんだろ?という疑問は昔も今も消えないんだけど。

2019 カルティエ展にて
宝飾をみると娘が昔ハマったサンリオのジュエルペット(アニメにもなったキャラシリーズ)
思い出す。娘、それで宝石の名前に詳しくなるの巻。



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