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学問と宗教と芸術と政治と医学と文学と

このところキリスト教の伝導奉仕活動をしていると言う人が度々個別訪問してくる。私は聖書に「”右の頬を打たれたら、左の頬を出せよ〃という言葉がある限り信用出来ません。」と追い帰す。昭和32年秋、私は学用患者として、虫垂炎の手術を受けた。手術した部位は、半年経っても治らなかった。私は右ポケットに手を突っ込み大腿骨のつけ根を押さえないと歩けなかった。手術した医師が再手術を、しようと言った時「先生は私の体質で化膿したんだといわれたじゃないですか。体質なら又化膿するでしょ。」と断った。歌を唄うと痛みが薄らいだが判断力は鈍った。
そこで子供の頃から好きな文学に救いを求めた。三年がかりで文学誌「夢」を発行し、詩と矢内原忠雄論を載せた。当時新聞紙上には、日米安全保障条約が一面を占領していた。私は第三条の、両国は武力攻撃に抵抗する能力を、という項目に於て、原子爆弾を投下した国と投下された国の条約だから、日本にも原子力以上の力のある爆弾を置くようになるとの考えで反対だった。広島県にいた頃隣に原爆症の方がいて、私を呼んでは原爆の恐ろしさを語られたこともあった。私は泣き寝入りしていては又同じ被害者となる、という事を、痛感していた。
ユーブー作の、「死刑囚最後の日」に罪悪は一つの病気と見られるだろう。そした、その病気には医者があって裁判官のかわりとなる。しかし罪悪には弁護士がつき、再審要求の機会があるが、病気には弁護士がつかない。学問、思想、宗教の自由、それに生存権の為には、常に再審要求の機会がいる。耳で聞いて、同じ言葉ー例えば、核について、細胞分裂の核と、原子核の核とは同じ意味なのだろうか?母細胞と、娘細胞とが、聖霊とかいう学問的根拠のない目に見えないものによって、身重になり、とめどなく生殖してゆくのだろうか?私は聖書よりも、自分の書いたもの信ずる。
参考資料 
新約聖書 死刑囚最後の日 高校日本史
理科 化学ゼミノート 夢 日本国憲法

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