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おいおい子どもがお前を見てるぞ

実家にいたころの私は、何もできなかった。
母の反対を押し切って無理やり実家を出たが、実家を出たころの私は生活力がなかった。
自分の時間を使う、自分のお金を使う、自分の食べるものを決めて用意する、自分の健康を管理する、自分の心を知る。
いつも母の顔色をうかがって行動を決めていた私は、実家を出て、はじめて自分で自分のことを考えるようになった。

だから、私は子どもに自分で自分のことを決めたり行動したりできるようになってほしかった。
生活力を身に着けてほしかった。
そして、それを自分でできるようになるための、支援を行いたいと考えていた。

ただ、支援の塩梅が難しい。
子どもは他人なので、自分で学ばないことにはどうしようもない。
本人がやる気になった時に、そのやる気に薪をくべるだけ。

前述のように、お金の使い方も、時間の使い方も、生活力も、感情マネジメントも、自分だってそんなにできない。
教えられるほどではない。

だから、教えるなんて仰々しいことは考えず、自分も学んでいる姿勢を子どもに見せることにした。

たとえば、感情マネジメントでは、「最近、怒った気持ちになったときは、『おかんは怒っている』と自分のお名前をいって怒っていると口に出すようにしたら、怒った気持ちがちょっと小さくなるのに気づいたんだ(※)!でも、さっきそれを忘れて怒っちゃった。失敗したわー。怒っちゃってごめんね。」というようなことを子どもに話す。
子どもからしたら、「また言ってるわ」かもしれない。

※「Chatter」を参考にした

でも、感情マネジメントできない親が、子どもに感情マネジメントを教えられない。
たとえ教えられたとしても、それは自己満足であって、子どもにはマネジメントできていないことを見抜かれている。
説得力がない。
子どもは親の行動をよく見ているので、ごまかせない。
幸い上の子は口達者で、理不尽だと思ったら言ってくれることも多く、はっとさせられる。(カチンとくるが。感情マネジメントはどこいった。)
だから、自分もできないことを認めて、せめて学ぶ姿勢を見せる。

これが正解かはわからないけれど、子どもにごまかすことだけはしたくない。
「なりたかったけどなれなかった自分」を子どもに押し付けるのではなく、自分がこれから「なりたい自分」になるのだ。

子どもに成長させてもらっている。
存在にありがとう。

タイトルはNakamuraEmiさんの「Don't」より。


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