見出し画像

…してあげる、の用法

人によってどうしても気になる言葉があると思う。私が気になっている言葉の上位には「…してあげる」がある。人が他者にモノや行為を提供することについて、提供側が表現するときに使う。文法的な間違いはない。

誰かがこの言葉を書いたり言ったりするたびに脳内の「してあげる警察」がファンファンファンとサイレンを鳴らし、「その『あげる』は本当に要る?」と問いかける。

例えば「助けてあげる」は「助ける」じゃ駄目なのか。「手を差し伸べてあげる」は「手を差し伸べる」じゃ駄目なのか。必ずしもあげなくていいところまで「あげる」が付いている気がしてならない。

一度「…してあげる」に遭遇したら、試しに「あげる」を抜いた文章で読み直してほしい。ほとんどの文が「なし」で成立する。なくてもいいのに付いているということは、書き手にとって意味があるということだ。

そう書いてしまうときの心理

「あげる」と付ける心理には、やっぱり相手よりも自分が上位の施しをしたという「どや感」が滲む。付けなくてもいいところに付いたな、と感じると余計に話し手の意識が透けて見えるようでムズムズする。その言葉を付けちゃったことで「どや」が漏れてますよ、大丈夫ですか、と。

反対に、付いてもいいと思う「…してあげる」もある。

親が子に何かを施す、世話をするというときは、まさに「…してあげる」の場面にぴったりだと感じる。明らかに相手ができないことをサポートしているのだから、それ以外の表現が当てはまらない。

ペットに餌(これも食事というべきなのか)をあげる、も今は許容範囲に入った。家族同然に暮らしている生き物に対して「餌をやる」は少しぞんざいに聞こえる。

明確な「施し側」と「施され側」の関係がある間では「…してあげる」は成立する。でも、私たちの生活内の人と人の間でそんなに頻繁に「…してあげる」はあるかどうか。あまりないんじゃないか。

聞き方や会話術の界隈では頻出している

「聞き方」の界隈ではよく使われている。「話を聞いてあげる」「本音を引き出してあげる」「しゃべらせてあげる」など、聞き手に回る人がある意味「施しを授けてあげるポジション」である前提が多い。

こういう文章を見ると「してあげる警察」がパニックになる。『天才バカボン』に出てくる本官さんがピストルを撃ちまくるみたいに「うわー!」と叫びたくなる。それは「話を聞く」「本音を聞く」「しゃべってもらう(もしくは話してもらう)」じゃ駄目なのか。

いちいち「あげる」を付けるということは、やっぱり「してあげている」心理がゼロではないからだろう。

私が4月に出した「聞き方」の本でも、この手の表現は削除した。正確に言うと元原稿には書いていない。編集者さんからの直しでこの表現が出てきたらトルの指示をした。

「聞き手は話し手に何かを施してあげる」のではなくて「聞き手は知らないことを教えてもらっている」状態でしかない。もらっているのであって、あげているのではない。

果たして本当に「…してあげている」のか問題

もう一つ、本質的な問題として「…してあげた」と表現した当人が本当に相手に「…してあげた」のかは不明瞭という点がある。

Aさんが「荷物を持ってあげた」と表現したとき、Bさんが等価に「荷物を持ってもらった」と言えるかどうか。実は言えない可能性も残されている。

Bさんは大きな荷物を持っていた。手伝おうと思ってAさんが「持つよ」と声をかけた。Bさんは「いや自分で持てる」と思ったかもしれない。むしろ「Aさんに手渡すには他の荷物を持ち替えなきゃいけないし、面倒だな」と思ったかもしれない。

でもここでBさんが「せっかくだし悪いからAさんの親切を成立させよう」と思って荷物を託したとしたら、本質的には親切をして”あげた”のはBさんになる。この状態でAさんが「自分が荷物を持ってあげた」とCさんやDさんに話したとしたら、たぶん本当のことから少し外れている。

もちろんBさんがとても困っていて、Aさんが「持ってあげた」おかげで助かったと思ったかもしれない。でも思っていない可能性も同じくらいある。確かめようがないけれど、両方の可能性があるのは確かだ。

日常の場面々々でこんな危険性があるのに、自分が「施した側」に疑いなく立脚して「…してあげる」「…してあげた」と表現するのは、自分はとても怖いと思う。軽々に使えない。

使うのは自由だけど

ここまで読んだ人は「面倒くせえ奴だな!」と思ったかもしれない。もちろん「…してあげる」を自分なりで使うのは自由なので、使いたい人は使ってほしい。でも黙って聞いている中でこんなふうに考える人もいるんだな、というのは頭の片隅に置いて損はないと思う。

---------

同じような話はこの本のP.54にも書いています。

今Amazonにも本屋さんにも少ないらしいので、版元のページも載せます。ここからも購入できるようです。


よろしければサポートお願いします!いただいたお金はnote内での記事購入やクリエイターとしての活動費にあてさせていただきます。