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たぶん壮大なデトックス期間だった

そろそろコロナ禍に入ってから季節が一巡する。去年の今頃はまだいわゆる「普通」の生活をしていて、まさか1年後にこんなに周りが変わるだなんて想像もしていなかった。

3月くらいから徐々に仕事が減ってきて、5月6月は洒落にならないほど何もなくなってしまった。でもあれから6カ月弱、振り返ってみると壮大なデトックス期間を過ごしていたように思う。

あまりにも何もなさすぎて、社会的な生存本能がピンチを感じていろんなことが研ぎ澄まされたのかもしれない。自分にとって「本当に好きで面白いと思うこと」と「そうでもないこと」がクリアに分けられて、後者に対する未練がほとんどなくなった。

何もない5月6月の頃に始めて、まだ面白がっていることは続いている。あの頃に「違うな」と思ったことは銀河系が離れていくような速さで遠ざかっている。こちらからも離れたし、あちらからも離れていったからだ。それで暮らしの中のノイズがばっさりと減って、格段に息がしやすくなった。

自分にとってつまらないこと、本当は興味がないことから離れると楽だ。24時間を組み立てている要素が入れ替わって、好きなことと面白いこととやりたいことで埋まっていく。もし以前の生活を円グラフにして比べたら、目に見えるほど「こりゃ楽しい」と感じてる時間が増えたと思う。

在宅ワークで、ペースを作りやすくなったせいもある。横浜から都心に出かけたり出張したりすれば半日や1日がすぐ過ぎるけれど、オンライン取材や会議が増えたおかげで前後の30分があれば準備も復習も可能。パッと別案件に取りかかることができる。

コロナ禍はまだ終わっていないし、むしろこれから新たな何かが始まりそうな気配すらある。でも想像以上の乱暴さで社会も暮らしも変えられたおかげで自分の生活も変えられた。コロナ禍だから生まれたツールや規範があったとしても、それはやっぱり自分で能動的に使って、より楽しい生活につなげていくしかない。

逆に、去年のままのマインドが今も続いていたらどうなっていただろう。たぶんまだ何が原因かよく分からないノイジーな世界で、以前と変わらない折り合いと妥協を繰り返して過ごしていたような気がする。気がついて脱したという実感が得られただけでも、この数カ月の意味はあった。

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