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自分の時間を主体的に過ごしているか

スマホには、短いメモをトップ画面に貼り付けておける機能がある。そこに最近「自分の時間を主体的に過ごす」と書いた。最も目に入りやすく、まさに「自分の時間」を考えないといけないタイミングで言葉が飛び込んでくるからだ。

よくある悩みかもしれないが、SNSで使う時間が多いと感じる。一度捕まるとついつい長居をしてしまい、気づくと数十分とか1時間とか、平気で経っている。

もちろんそこで読んだ記事やエピソード、見た写真から刺激を受けるのはありがたい。ただしレコメンドに引きずられていつまでも留まって時間を無駄にしていることもある。

顔を上げて「ああ、やってしまった」と思うのはそんなときだ。全然主体的に時間を過ごしていない。知識や情報は得たかもしれないけれど、自分から獲りに行こうと思った事柄でない分、一時の記憶で後は流されてしまう。

自分の時間は限られている。もう少し狭めて言えば、今日の可処分時間も限られている。そのうちの何割を「主体的でない状態」で過ごしてしまったのだろう。

主体的とは、調べてみると「自分の意志で動いたかどうか」がカギだという。今足りないのはそれだ。

同じように画面を眺めるにしても、主体的でありたい。というより、たぶん主体的であろうとすると画面を眺める時間はもっと減る。

手を動かして文字を書く。本を読む。図や絵にしてみる。目的のある調べ物をする。体を動かして外に出る。写真を撮る。画面を見ずに言葉を考える。人と話す。ぼーっと過ごすことも主体的にできる。

「よし、やろう」と思ってできることはたくさんあって、今までもそうしてきたはずだ。できないわけがない。元に戻ればいい。

スマホから離れようとかネット依存は避けようというのは頭では分かっているものの、実践が難しい。何かで上書きするのが一番で、最近の自分に響くフレーズが「自分の時間を主体的に過ごしているか」だった。

スマホの目立つ場所、黄色いメモの上にその問いかけが載っている。

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