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書きながら味わって読む vol.3【手話は描写力にすぐれた少数派の言語。その豊かな世界】

書きながら味わって読む。3回目は、株式会社ABEJA(アベジャ)さんのオウンドメディア「Torus」に掲載されていたこちらの記事。

「書きながら味わって読む」を始めた理由は、こちらのnoteにまとめている。

ゆっくりと時間をかけて読む。そうすると、最初はただの記号でしかなかった言葉が、突然重大な意味を持ちはじめることがある。はじめは見えなかった作者の想いが、垣間見えることがある。巧みな表現力に、途中で気づかされることもある。

文章をゆっくり表現を味わう訓練として、あることを試してみようと思う。それは、ノートに書き写しながら読むことだ。目で追うだけよりも何倍も時間がかかる。一画一画書かないと読み進められないから、自然と細かな表現にも目が止まる。

※筆者の方の意図とは異なり、あくまで私の見方になります。

お話を「見ている感覚」になる記事

最初にこの文章を読んだ時に感じたのは、お話されている方の言葉を「目で見ているようだな」ということだ。

大抵の場合、文章を読むときは、文字をたどり「意味を理解する」ことが多い。しかし、この文章を読んだときは、語られている情景を脳に映し出して「見ている」ような、不思議な感覚だった。

この感覚は一体どこから生まれているんだろう。そんなことを考えながら、書いてみた。

カメラで見たものを映すように書く

例えばこの部分。

たとえば日本語で「ボールが地面をはね返った」というのを、手話ならどんな大きさのボールがどれくらいのスピード、角度でどの方向にはねていったのか、瞬時に動画のように表現します。だからこそろう者は、そのような表現ができない音声語を「もの足りない」と思うようです。

また、ある目的地までの道順を説明するとき。私たちは「駅から真っ直ぐ行って、次の角を曲がって」と言葉で話しますが、込み入った道順だとなかなか伝わらないことがありますよね。

でもろう者は一度手話で伝えれば間違えることはありません。手話だと、道順がまるでストリートビューのように伝わるからでしょう。音声語で「コンビニの先を左へ」といっても、人は右と左を正確には覚えられないこともあります。でも手話の手の動きが「コンビニの先を左」だったら、視覚情報を脳内に刻むことになり、それを見たろう者は道順を間違えることなく覚えられるのです。

手話の説明をしているから、というのもあるかもしれないが、カメラでその場面を切り取ったかのように感じる。

そう感じる理由のひとつは、表現がかなり細かく具体的だからだと思う。

「どんな大きさのボールがどれくらいのスピード、角度でどの方向にはねていったのか」「手話の手の動きが『コンビニの先を左』だったら、視覚情報を脳内に刻むことに」

実際に手を動かしている様子をカメラで映しているかのように、具体的に詳細を描いているから「見える」のだろう。

もう一つのポイントは「動画のように」「ストリートビューのように」と、ところどころで比喩を用いている点にもあるのかもしれない。

自分がよく知っているものに例えてもらうと、読者はより具体的に情景をイメージできる。

「感情」ではなく、「行動」を見えるように書く

また、もう一つ気づいたことがある。それは目に見えない「感情」ではなく、目に見える「行動」がよく描かれている点だ。

例えば、この部分。

たまたま手話について言及している記事を読んだのですが、そこに「手話は立派な言語である」と書かれていて驚きました。

こうすると「手話は立派な言語である」という文字が本に書かれている様子が「見える」。でもこれが、例えば以下のよう文章だったらどうだろうか。

手話は立派な言語であると主張する記事を読みました。

「主張する」は目に見えない。概念になることで「意味」は分かるが、「見えなく」なってしまうのだ。

また、別のこちらの部分。

通訳として付き添ってくれた人がろう者と手話で会話している様子を眺めているしかなかったんです。

これが例えば以下のような文章だったら、また違う印象を受けるだろう。

通訳として付き添ってくれた人がろう者と手話で会話していたので、疎外感を感じました。

「疎外感を感じる」は行動ではないので、感情を追体験できても、ぽつんとそばに立っているその時の様子を「見る」ことはできない。

こういった「行動」を描写する表現が段落の合間に入っていることで、読者はイメージした映像を頭に思い浮かべながらストーリーを読み進められる。これが頭に映像が浮かぶ文章のポイントなのかもしれない。

情景が見えるようだと言われる文章とは

よく「この文章を読むと情景が見えるようだ」と評されることがある。今まで私はそれをただ「文章がうまい」くらいの解像度で捉えていた。

しかし、本当にカメラでとっているように見える文章があるのだなと、今回この文章に出会って感じた。

私も「見える」ような文章を書いてみたいなと思う。

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