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朝市で「価値が生まれる」瞬間とは

 ムサシオープンデパート朝市はいったいなんのためにやっているのか。

 われわれが重視している、「火花が散る」といってもいい瞬間がある。

 トヨタ生産方式(前回記事参照)では溶接作業工程を観察した結果、価値を生んでいるのは火花が散っている間だけであると断定した。きびしい。精密で本質を突いたものの見かただ。そうとう偏執狂的に考えないとここまで徹底したもののとらえ方はできない。

 今回の記事では、朝市が価値を生んでいるとしたらそれはどの瞬間なのかということをお伝えしようとおもう。

 さまざまな観察と考察の結果、朝市が価値を生むのはいつであると定義しているかというと、

「知らないどうしの人間が話しはじめる」

まさにその瞬間だ。



 人間がだれかと話しはじめるには、最初のきっかけのひとことが必要になる。

「いやあ、きょうはええ天気でんなあ」
「そのウドンうまそうっすね」
「きょうはネギが新鮮でっせ」
「サイフ落としましたよ」
「かわいい息子さんですね」
「そのサンドイッチどこで買うたんですか?」

なんでもいい。こういうコミュニケーションを発生させる最初のひとことがあるはずだ。友だちづきあいも商品の購入も就職も恋愛も結婚もここからすべてが始まる。

 注目してほしいのは初対面の人に話しかけるときに人間はたいてい「おはようございます」「こんにちは」などと定型的なあいさつはしないということだ。あいさつというのは、基本的に知人にたいして使われる定型文という側面が強い。

 いきなり話しかける。おもわず言葉が出る。ここだ。おもわず言葉がでるような感動がないと会話はスタートしないということだ。

 さらには、個人が自然とつくっている壁つまりパーソナルスペースを破っていいのだという共通了解というものがなくてはならない。

 昔はちがえど、いまは通勤列車で

「ええ天気でんなぁ」

といきなり話しかけたらたいてい怪訝な顔をされる。みんなパーソナルスペースに閉じこもって「邪魔しないでください。わたしも邪魔しません」という空気を発散しながらスマートフォンをにらんでいる。人々が新型コロナウイルスにおびえる現在、その風潮は最高潮だろう。

 みんなふだんはマスクをして仏頂面で地元生活をおくっているが、朝市ではその殻を気持ちよくやぶってもらう。そして会話が発生するような小さな感動を仕込む。そこについにコミュニケーションの火花が飛ぶ。その最初の瞬間が朝市の最大の価値である。そう定義している。

 はやい話、たくさん話をしてもらうのが朝市の最大の価値の源泉だ。いったんはじまってしまえば、あとはコミュニケーションは進む。現場合わせだ。運営するわれわれの仕事はいかに最初の火花が飛びやすい場所をつくるかだ。

 話をしてもらう人たちは出店者とお客さんにかぎらない。お客さんどうしやスタッフもそうだ。ボランティアもいる。なんなら会場の警備員もそうだ。知らない人たちのあいだに会話が生まれるその瞬間。これを大量に製造する。すべての装置や制度の準備はここに収斂させていく。



 現代は「個人」ならぬ「孤人」の時代になってしまった。外国にいくとホテルの廊下やエレベータで見知らぬ人にあいさつされ話しかけられる頻度が多いのに驚いた人も多いだろう。日本人はこれが異様に苦手だ。苦手になってしまった。

 日常生活でコミュニケーションが発生しないわけだから、地元の生活でなにも起きない。会社では会議も商談もしているのに、地元に帰ってきたとたんに誰とも会話をしなくなる。なんなら夫婦や家族も会話をせずにそれぞれ液晶画面をにらんでいる。

 ムサシオープンデパート朝市がはじまった加古川はとくにベッドタウンだからこういう傾向が強い。「メシ・フロ・ネル」の街である。このコミュニケーション不全の日常生活をなんとかするにはどうしたらいいか。

 友だちが増える。新しいアイデアが生まれる。ニュースがもたらされる。昔の友だちに再会する。事業が始まる。恋に落ちる。

 すべてのスタートは最初のひとことだ。朝市はそういうコミュニケーションの発火装置たらんとしている。

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