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ラーメンと赤い花弁、もしくは白馬のたてがみ。

 あ、ここ数ヶ月、ラーメン屋さんに行ってラーメンを食べていない。
 ということに、ふと気づいた。

 新型コロナが蔓延する前には、当然のように、例えば週末の昼などに家族でラーメンをよく食べていた。出かけるついでにラーメンでも、と行った気安さだ。
 それがどうだろう、気がつけばラーメンはもとより、外食をしていない。ずーっと家で朝昼晩食べている。このご時世、当然といえば当然だし、だからなんだと言われれば返答に詰まる。
 でもそんなときだからこそ、またふと考える。

「あ、ラーメンも体験だったんだ」って。

 モノよりコトに消費行動が移っていると言われて久しいけれど、それはこれまで理解はできるけれど、実感もしくは温度感がなかった。だけど、今では以前に比べてよりその事実への距離感が縮まったように思う。

 塩豚骨なり、魚介系なり、ラーメンを食べる。それはもちろんその味への対価としてお金を支払うのだけれど、むしろ「ラーメンを食べよう」という思いつき、もしくは話し合いから、ラーメンを食べるという体験ははじまっている。これは旅行でもそうだし、あるいはサロンなどでの散髪などもそうだと思う。

 最近、この「体験」というのは記憶にも結び付くと思っていて、知人からのお誘いで、とあるチャリティーで写真を2点購入した。売上はすべて看護士団体に寄付される。でもどちらかというと寄付はメインではなくて、その写真を見ることでこの時代、雰囲気、感じたことなどを思い出せるトリガーになりうるかなと思って買った。赤い花弁と白馬のたてがみ。

 僕たちはすぐに忘れる。喉元過ぎればなんとやらで、これはコロナに関してもそうなると思う。だから、体温のある体験が忘れないため必要なんだと思う。ちょっとまとまりのない支離滅裂な文章だけど。

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