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岡本明才の「高知とアート」

新宿眼科画廊新聞に2017年3月から
2年ぐらい連載した文章です。(ちょい変更しています)

自己紹介

新宿画廊新聞がリニューアルするとのことで、新たにテーマを代えて「高知とアート」と題し地方のアートシーンの現状をつらつらと書いていこうと思っています。

今回初めて私の文章を読む方は「あなたは誰?」なんって思われるので、自己紹介〜

幼少期暮らしたアパート(神奈川県横須賀)


生まれて初めて描いた絵は「おっぱい」です。小学生の時は50音がなかなか理解できない子供でしたが、図画工作の成績はダントツな落ち着きのない子供。
勉強がめんどくさくなり高校中退。
27歳にして中卒だと再就職が難しいことに気づき定時制高校に再編入し意外と勉強が面白かったので、夜間の大学に進学するも、勉強よりも自治会なる怪しい組織の運動に参加。大学改革を推し進めるも、やり過ぎ燃え尽き症候群で大学中退。
傷心の心を癒やすべく高知の平和活動(宗教ではありません)に参加するも内部の喧嘩が絶えず、全然平和的でないので脱退。
心寂しい時に友人に誘われ高知の裏観光地として有名な世界最大級、手作り集合住宅「沢田マンション」に転居。
ここからアートの世界に入って行きました。作品発表のきっかけが、2005年高知の伝説的ギャラリーグラフィティでなんだか知らないうちに2人展をする。

初のギャラリーでの展示作品 気持ち悪いです。


2006年頃、不況で埼玉のトラック工場に出稼ぎに出て、東京のギャラリーで紹介された写真家金村修ワークショップに大金をはたいて参加するも2回目で登校拒否、その後高知に帰り、初めて作ったピンホールカメラ(2メートル)で変わった写真に目覚め制作を続ける。

初めて作ったピンホールカメラ


2010年頃、東京の自主ギャラリーに憧れて「沢田マンションギャラリーroom38を立ち上げる(ギャラリーroom801のオマージュなんです)
素人がよくわからない状態でギャラリーを始めたので、高知では馬鹿にされてばかりでしたが、大物作家の展覧会を企画するも手の平返しで有名ギャラリーとして認知される。
そして多くの人の中途半端な応援がめんどくさくなりギャラリーを解体・分裂、そして現在は高知で一番小さなギャラリー「GALLERY E」を設立(8万円で作りました)。
現在の仕事は不動産業(古い物件が得意)で生活をしています。仕事・作家活動・ギャラリー経営と三足のわらじですが、どれかを適当にこなしつつなんとかやっております。
詳しくはHP作りましたのでそちらで、https://meisaiokamoto.com

こんな私ですが、高知で感じたアート情報を毎月締め切りに追われながら書いていこうと思います。次回は2週間前の出来事(11月11日)「岡本くんあの作家はギャラリーでやらないほうがよいぞと先輩からアドバイスを頂いた件」です。新聞社まで巻き込んだ騒動をお伝えします。


地方のアート事情 のけもの編

子供の世界ではいじめが無くなりません。ほんと悲しいことです。しかし大人の世界でもいじめというか「のけもの」にされることがあるのも事実です。

アートの世界に入る前は芸術家とは変人と思っておりました。子供の頃の岡本太郎氏のあのテレビCM「芸術は爆発だ!」普通の大人とは思えませんでした。
13年前のアートに足を突っ込んだ時に知り合った高知の偉大な画家、川崎太一はまさに爆発作家で初対面の時に飲食店での支払いは「芋天」(認められませんでした)という普通の人とは違うインパクトを与えてくれ、その後も様々な爆発行動を披露しますが、高知県では大先生とされています。
しかし鬱病のため爆発行動で多くの方が付き合いを辞めていくさまは悲しいです。

そんなこんなで、変人とされる作家が意外と少ないことも事実。真面目に制作をし高知県展(高知で一番権威のある公募展)にセコセコと出展し高知でのキャリアアップするのです(川崎太一は高知県展で無監査なのです)

高知の偉大な画家

ある環境団体の方から「たのしい環境の話をするので遊びに来て下さい」と言われ集まりに参加したら、参加者15名程度の方々が輪になって座っています。自分もそこに座り参加したのですが、環境の話かとおもいきや代表らしき人物が「仲間とは何か」と質問をぶつけてきます。それを一人ひとり語るわけですが、全員が自身の不幸な過去を語り出すんです。「昔いじめられた…」「会社で孤立している」などなど。環境の話じゃないやんってツッコミを入れたいが今回初参加なのでおとなしくしていると自分の番が来ました。
その時発言した言葉「仲間意識が仲間はずれを生み出す」の一言で環境団体から仲間はずれにされる結果になり、同調することの大切さを学びました…てか環境関係ないやん!

新しいギャラリーを立ち上げ利用してもらう作家を集めなければいけないのですが、正直面倒くさい作家もいるのが事実。しかし発表したい気持ちを実現させるのもギャラリーの使命(ギャラリー収入が生活費の為もある)なので、審査なんてものはありません。

昨年ギャラリー工事中に大きな丸メガネのおっさんが来ました。正直コミュニケーションを取ることが難しい感じの人でどうも、うちのギャラリーで個展をしたいとのこと。開催することになりましたが、高知の先輩作家からは「あいつはトラブルメーカーだから面倒くさいぞ」「危険人物なので見に行きません」などなど別に教えてもらわなくても良い情報なのですが、いろいろと言われました。
個展が始まると丸メガネおっさん作家は高知新聞に行き新聞記者に「俺の作品を新聞に載せろと」と毎日抗議をします。担当記者が困っていると噂を聞いたので連絡すると「あの作品は新聞に載せるクオリティではない。岡本もそう思うよね?」となぜか質問口調。「そんなことは記者であるあなたが決めることでしょ!どんだけ小心者なん」と怒りプンプンで伝えますが、困る困ると言い続けるので「ハイハイわたくしが丸メガネを説得するします」で記者は納得してくれました。
そんな丸メガネおっさん作家の個展は自分はカッコいい展示だったと思っています。

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