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【笑顔は最強!】作り笑いの自分とさよなら。

こんばんは。
15年前に夫を亡くし、ボツイチシンママになったokamishiyaです。

今回は私がなぜ笑顔にこだわるのか、綴っていきます。


ひねくれていた幼少~10代

私には4つ上の兄がひとりいます。
この兄はとても優秀!母の自慢の息子でした。
しかし、真面目な性格が原因なのかはわかりませんが、円形脱毛症になり、中学の時にはかつらを被らなければならないほどでした。
治療のために、毎日頭に何本もの注射を打っていました。
母はそんな兄が不憫でしかたなかったのだと思います。
母の愛情は、兄に注がれていました。
実際は私がそう感じていただけだったのかもしれません。

「私はいらない子」勝手にそう思っていました。
自分で勝手に悲劇のヒロインになっていたのですね。

しかし、
もともと私も真面目な性格。
ぐれることもできず、「いつか私にも兄に対するような優しさを向けてくれるのではないか」と思い、母の顔色を見ながら毎日を過ごしていました。

今考えるとひねくれていますね。

人の目を気にしていた20代~30代

そんな風に育ってきた私は、当然大人になっても、人の目が気になっていました。
「なんでもできる女」
そう見られたくて、背伸びして、カッコつけて……
お金をかけて服や靴で着飾って、お金をかけて夜な夜な遊びに行って。
ちっともカッコよくもないし、できる女でもない。
その頃は、それが人から見られていけてる!と思っていたんです。

なりふり構えなくなった40代

勘違いしていた中でも、根は真面目なので、仕事はして、恋もして、
夫と出会って、子供できて、いつの間にか人の目を気にする割合は減っていきました。
そんな中、夫がいなくなります。
青天の霹靂。
突然のシングルマザー、経営していた飲食店の借金を抱えて、人の目どころではない状況でした。
「なりふり構わず必死だった」この一言に尽きます。

自己紹介でもこの頃のことを書いています。


つきものが落ちた50代(現在)

夫が亡くなって15年が経ちました。
50歳を迎えたころには子育ても楽になって、借金も親の協力もあって、完済できました。
この頃から、つきものが落ちたように人の目を全く気にすることが亡くなりました。
おそらく、自分に自信がついたのだと思います。

作り笑顔と心からの笑顔

つきものが落ちた私は、それまでずっと作り笑いをしていたのだと気づきます。
心から笑えていたのか……
そんな自問自答をするようになりました。
人の目を気にしているから、
「笑っていよう、そうすればいい人に見られる」
「笑っていよう、みんなが心配してくれるから」
「笑っていよう、だれとでもうまく付き合えるから」
笑うことは、私の仮面でした。
嫌われたくない、いい人で見られたい、夫を亡くした可哀そうな人でいられる。
バカな笑顔をしていたものです。
そんな笑顔はだれも幸せにならないのに。

ようやく今は、自分のために笑う。息子のために笑う。友達のために笑う。
それができるようになりました。
作り笑顔という仮面を取って、
最強の笑顔という自分の顔を手に入れました。

本当の笑顔の良さを伝えたい

心からの笑顔ができるようになって、私はすごく心地よく毎日を過ごせています。
物事がうまく進むようにもなりました。
いろいろなことに挑戦したいと思うようになって、挑戦しています。
健康ですごせていますし、お肌の調子もすこぶるいいです。
いいことづくめ!

現在挑戦していることはコチラ

このいいことづくめの「最強の笑顔」の良さをこれからお伝えできればと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。


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