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求道、それはパンを探す旅路だ(ゆる日記)

マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。

『マタイによる福音書』第1章21節

救われるとはなんだろうか、と思う。それはどのような状態なのか。罪の意識に苛まれた己の心が、その十字架を受け止め、背負って、前向きに歩んでいくと決意することなのか。そして、その道を自分ひとりではなく何か大きな存在、例えばイエスのような人物とともに歩むことを約束される安心感を指すのか。

クリスチャンでない自分にはその答えがわからない。そして軽率にこれを結論づけることは、恐らく信仰への冒涜となるだろうから避けようと思う。ただ一つ確信を持って言えるのは、私がクリスマスの朝を盛大に寝潰してしまったこと、繰り返すレム睡眠が謎の夢を見せ続けたこと、そしてその夢の中で大量のキャットフードを呑むように掻きこんでいたことだけである。

遮光カーテンによって夜の延長を許されたうす暗い部屋の中、iPhoneの鮮やかなディスプレイはその闇がかりそめのものであることを告げる。時刻は11時50分を回ったところであった。


夢占いによる「キャットフードを食べる夢」の診断結果。ライフスタイルを変える必要性が示唆されている。

秩序を破壊し、”無秩序の秩序”を樹立せよ

本当は朝から駒沢公園に行って走ろうかな、などと考えていた。それから溜まっていた仕事やらを片付けて〜♪本なんか読んじゃったりして〜♪

……

しかしそれらの計画、もとい夢は儚く崩れ去った。朝は終わった。だが仕事は終わってないし、駒沢公園を走ってもいない。得られるはずだった充実感は、その可能性がないと知るや否や絶望に変わり、心の内側で冷ややかに俺を罵った。うるさいっ……くそ、確かに俺は愚かだ、今となってはこの布団の温かさも、愚かな自分には不相応なものに思われる……ああいっそ私に大きなアイスノンをください。私はその中で氷になってしまいたい……。

するとその時、突如私の中に”大いなるもの”が立ち現れた。大いなるものはそっと私に近づき、それからこう囁いた。

「半蔵門・麹町エリアに行け。でも、道中地図を見てはダメだよ。」

どうして……でも分かりました。僕、地図を見ずに半蔵門・麹町エリアに行きます!

「パン屋に行け」と声は語りかける

さっそく私は身なりを整え、最寄りの東京メトロ・ナイショダヨ駅へと向かった(個人情報)。そこから半蔵門駅へは2回ほど乗り継ぎが必要になる。しかし、高度にアーバナイズされた私に路線案内は不要だった。千代田線、半蔵門線へと次々に乗り換えを成功させ、わずか30分ほどで半蔵門駅に到着。「俺シティボーイやん」と有頂天になった私は、もうこの時点でクリスマスの朝を寝潰した絶望感などどうでも良くなっていた。

あ〜なるほどね!右に行ったらアレで、左に行ったらアレだわ〜!

絶望状態を抜け出すと人間は案外暇なものである。悩みというのは、飼い慣らせば人生を飽きずに楽しむ良いスパイスになるのかもしれない。そんなことを考えていると、先ほどの”大いなるもの”がまた語りかけてきた。

「ナンバーなんとかってパン屋、行ってみたら?」

雑〜〜!でもそう言われると確かにパンは食べたい。以前なんとなく場所を調べたことがあったため、この辺にあることは知っている。地図を見ない縛りはあるが、恐らくすぐに辿り着くだろう。私は意気揚々と光の射す方へ歩みを進めた。

腹ペコ・アーバナイズド・クレバーメンの確信

しばらく歩くと、次のような看板を発見した。

黒板みたいなカラーリング。小学生の頃「黒板なのに黒くないやん!緑板やん!」と憤っていたことを思い出した。

東京は街の至る所にこのような案内表示がある。その場所がかつてどのような意味を持っていたのか、説明がなければ知る由もなかった歴史について学べるのは実に素晴らしいことだ。こういうところに東京という街の最新かつ..あれ???

「ナンバーなんとかってパン屋」の「ナンバー」って「番町」の「番」のことじゃない???

私は自分のクレバーさに震えた。高度にアーバナイズされており、かつクレバーな私。そんなキラキラした私の存在に気づいて、ナンバーなんとかってパン屋がこちらに手を振っているような気さえした。もはや到着したも同然である。昼前に起床してから何も食べていない腹ペコ・アーバナイズド・クレバーメンは、「何パンを食べようかしら」と具体的な候補を挙げ、胃に対して受け入れコンディションを整えるよう指示した。みんな、待たせたな。俺が”地上の光”だ……!

君の名は四番町

1時間半後、俺はまだ空腹を満たせずにいた。空っぽの胃がキューッと収縮し、足には疲労が蓄積しつつあった。四谷駅、地上から見るのは初めてだな、上智大学ってこんなところにあるのか、立地最強やん、靖国神社、いぶし銀やな……

景色は移ろうが、私はその中にパン屋っぽいものの兆しすら見出すことが出来ないままだった。

駅出てすぐキャンパス!六甲山登山大学の出身者としてはこの上ない羨ましさである。

はァ、やっぱり俺って宇宙の塵なのかな……塵に人権享有主体性はないよね、クリスマスを楽しむことって確か幸福追求権から導き出される「新しい人権」のひとつだった気がするし……

あまりの絶望感に過去の学習記憶が改ざんされ、ありもしない「クリスマス楽しむ権」についての主要判例に思いを馳せかけた私の目の前に、またしても看板が出現した。

阪急電車みたいな色さ

お〜っと待てよ、本気で忘れてたけどパン屋の正式名称、「No.4」な気がしてきたぞ。そしてこの写真撮った時はあまり読み込んでなかったが、与謝野晶子もこの辺に住んでいたのか。どうりで髪が乱れるなあと思いました(歩き回ったせいで帽子の中が蒸れているだけである)。

出会いは突然に

そしてその時は唐突に訪れる。パン屋の正式名称に関する記憶が蘇ったと同時に、拍子抜けするくらいあっさりと目的地、No.4に到着した。

やだすっごいおしゃれ

ひとりで来ている人がほぼいなかったので「ここは俺の来る場所じゃない」と思って引き返しそうになったが、勇気を振り絞って入店。あんパンとカレーパン、そしてパン・オ・ショコラを購入した。

表面がテカってないあんパン、珍しい気がするがイイねぇ、気に入った!俺の中のパン・仲村が「アンタでもいいよ」と言っている。
表面のザクザク感こそ至高!と思ってたけど、パン粉はこれくらいでいいのかもしれない。カレーパン特有の”揚げてる感”がほぼなく、結構あっさり頂けた。
サクサクッ♪サクサクッ♪

謎に萎縮して飲み物を買い忘れた(あったかすら確認していない)が、どれもいい意味であっさりしているのですぐに食べ終えた。店内は満員だったので、外の公園みたいなところで食べました。途中、サンタクロースのコスプレをした少年が俺のパーソナルスペースをバリバリに侵してきてちょっとうろたえてしまった。想像上のサンタクロースと比較するとあまりに若々しい外見だったが、実は彼こそ本当のサンタクロースなのかもしれない。奇跡は我々の想像を超えたところで起こるのだ。(俺、RICOHのGRⅢが欲しい!)

ライフ イズ パン・オ・ショコラ

そういえば最近こんなツイートを見かけた。

LIFE is PAIN という落書きに青文字で au chocolat を付け足して、
LIFE is PAINau chocolat(人生はパン・オ・ショコラだ)、と

なるほど、確かにそうかもしれない。人生は、特に他人のそれは、傍目にはなんとも判別しようがない。それこそ、パン屋でさまざまなパンを眺めながら味を想像するようなものだ。今日パン屋でたまたま私と居合わせた人は、クリスマスの当日に寒空の下でひとりパンを食べる男を見て「寂しそうだ」と思ったのかもしれない。

しかし、四角いクロワッサンにしか見えないパンも、割って中身を確認するとそこには甘いチョコレートが詰まっている。仏頂面でパンを頬張るように見えた男の内面にも、「何だかんだで楽しかったな」というチョコレートがぎっしり詰まっているのかもしれなかった。

また、パンは当然ながら自分の味を知らない。それは人間も同じことだろう。誰も人生の本当の意味など分からない。ならば、それを他者と比べることになんの意味があるのか?意味などない。じゃあ人生はパン・オ・ショコラでいいじゃないか。意味が分からない?2回も言わせないでくれ、意味などないんだ!

……そういうことですよね?

私を半蔵門まで誘った”大いなるもの”、改めパン・オ・ショコラは、さくりと音を立てて笑った。あたりに小麦の甘く、香ばしいかおりを漂わせながら……


すごい遠回りしててウケる。有楽町線「麹町」駅が最寄りっぽかったよ!

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